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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


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作品の剪定


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3月に第2回SIGN写真茶話会RR展を葛城市で開催する運びとなった。久々にメンバーが全員集合したので、会場となるギャラリーへ下見に出かけた後、各メンバーの作品を選定。いや剪定かな?私も昨年からの取り組みで感じる事ができた自分なりの手応えをちゃんとかたちにしなければと思っている。
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by lastsalt | 2016-01-31 00:40 | Comments(0)

スナイパー


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彼を楽しませる為に、あれこれネタを仕込んで10ヶ月。時間をかけた手作りの教材にもすぐに飽きてしまい、ポケットマネーで購入する様々な仕掛けもあんまり飛びつかなかったが、この木製の銃には夢中。自慢のカホンも的の台。
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by lastsalt | 2016-01-26 23:20 | Comments(0)

2月のChapter29


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と き  2016年2月20日(土)
     
     10:30〜12:00 信仰放談 
                 テーマ  未定
     12:00〜14:00 周辺のレストランで食事
     14:00〜17:00 フリーな交わり 
                 
ところ  室生振興センター 1F和室


  会場を2F会議室からⅠF和室に移動しました。お知りおきください。

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」(Ⅰヨハネ1:3) 
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by lastsalt | 2016-01-24 19:07 | Comments(0)

凧揚げ


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寒い中、1年生が凧揚げをしていた。子どもが走って自分で風をおこして凧を揚げている姿は何とも微笑ましい。いい取り組みだ。思わず立ち止まって写真を撮った。

最近は凧揚げをしている子どもをあんまり見なくなった。凧揚げに限らず、コマ回しや剣玉などのからだを使った遊びは、手軽なゲームにとって替わられ、その地位は凋落し、「昔の遊び」という情けないカテゴリーに入れられてしまった。

仮にゲームの台頭はなくとも、洋凧が流行したことは和凧を急激に衰退させる一因になったのではないかと考える。洋凧は手軽で簡単なので一気に広まったが、誰にでもあまりにも簡単に揚げられるので少しも面白くない。自分で揚げていても、ゴミ袋が風に飛ばされていくのを糸で引っ張っているように見えてしまう。1回やったら2回、3回やろうとはあんまり思わないだろう。

和凧は難しい分、技術で風にのせる面白みがあるのだ。見えなくなるほど小さくなるまであげた凧が受ける上空の風を手元で感じる楽しさなんて、ボタンで液晶上のキャラクターを操る子どもにことばで伝えようがない。
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by lastsalt | 2016-01-23 01:35 | Comments(0)

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私の部屋には、休み時間に大勢の子どもたちが押し寄せる。チャイムが鳴ると入り口で行列をなして待ってくれている。ひとりに1日1枚B6サイズのぬり絵をプレゼントしているので、大半の子はそれをもらいにやって来る。もともと前任校でたったひとりの子の為に描き始めたものだが、今は多くの子どもたちの暇つぶしのネタとなった。毎日「これを描いて」「あれを描いて」とリクエストが絶えない。おかげで、小学生のサブカルチャーにも多少詳しくなった。

音楽療法と同じく、アートセラピーなどとわざわざ項目を立てるのは好きではないが、フランスではコロリアージュといって、大人もまじめにぬり絵でストレスを解消している。最近は浅田真央の発言から日本でも注目されるようになった。

子どものぬり絵の様子を見ていると、発達やその時々の気分がわかる。つまり、ぬり絵は遊び半分の教材なので、学習プリントを作るよりも私の性に合っている。また、準備する過程で、子どもたちから、今最も関心を寄せているキャラクターについてのいきいきした話を聴けたりもする。実際怒り狂って泣き叫んでいる子を何人もこの部屋へ連れて来て、話を聴くのも説教するのも面倒くさいので、「ぬり絵でもする?」と進めたところ、けろっと泣き止んで教室に戻って行った例もいっぱいあった。

多少お行儀の悪い子もいるが、そんなに叱らなくても約束を守ってくれるので、ぬり絵の力は大きい。ムカついてキレたりしないで、いろんなストレスを正しく解消する甲斐性を身につけてもらいたい。
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by lastsalt | 2016-01-19 20:31 | Comments(4)

おそれ


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会堂を構えたり、組織を作ったりすることは、かえって聖霊の自由な働きを損ない、人間の側の身勝手な要求のために、神の名を利用してしまうことが多い。そうした懸念から、期限付きで借りていた会堂を手放し、ほんのかたちだけだった組織も解体し、概ね月一回の不定期とする集まりを始めることにした。それがChapter29だ。

私ひとりがメッセージを独占せず、聖書に関わるテーマを設定して対談し、ともに食事をしたり、お茶を飲んだり、時にどこかへ遊びに出かけたりしながらすべての兄弟姉妹がイエスを中心に同じ距離感で交わるというのがChapter29のスタイル。

「どうしてChapter29なんですか?」という質問をされることも多いので、改めてここで簡単に書いておきたい。福音書を著したルカがイエスの昇天後のキリスト者の営みを記したものが「使徒の働き」だが、これは28章で唐突に終わっている。キリスト教と言えば、ローマの国教であったり、カトリックの政治的支配に抵抗するためのプロテスタント運動だったり、世俗の道徳や処世術や単なるイベントに成り下がったものだったりをイメージしてしまうし、事実そのような宗教をキリスト教と呼んでも差し支えないが、聖書の教えはそのいずれでもない。イエスのいのちの霊を受け継いだ29章の活動は、歴史に記録されないそこかしこで脈々と受け継がれて今日に至る。「自分たちの集まりこそが正当だ」などという主張はすでに狂っている。私たちは「まことのぶどうの木」につながる1本の枝でしかない。そのような思いで命名したのである。私たちの集まりは神の恵みのひとかけら、ひとしずくなのだと思っている。それは小さいとか貧しいとかいう意味ではなく、私たちが常に神の計画の全体に目を向けているが故の表現だと思って欲しい。

2016年1月16日 信仰放談 テーマ「おそれ」より

新約聖書における「愛」という単語が、ギリシャ語では、「アガペー」「フィレオー」「エロス」と使い分けられていることはよく知られているが、「おそれ」ということばはそれほど厳密に扱われていないようだ。

通常、「恐れる」という漢字は怖くて恐れる、「畏れる」は尊敬してうやうやしく畏れるという意味で用いられるが、新改訳聖書では「畏れる」とするべき箇所さえ「恐れる」という漢字が当てられているほど。これは「畏れ」という漢字が当用漢字からはずされてしまったからだと思われる。実際には「おそれ」という言葉は、ヘブル語では異なった8つの言葉、ギリシャ語では異なった6つの言葉の訳語であるが、日本語のほぼ2種類のことばでそれを置きかえることには無理がある。

しかし、霊的な深い感覚である「おそれ」本来の意味をしっかり考えれば、聖書全体をとおして「主を恐れなさい」と命令されていながら、「愛は恐れを締め出す」とも、「恐れる者の愛は全きものとなっていない」とも書かれていることの表面的な矛盾はとける。

もし私たちに罪がなかったとしても、神は神であるがゆえに畏れるべき御方。神を認め、罪を意識すれば恐れが生じる。恐れには刑罰が伴っているからである。しかし、刑罰が取りのけられたのであれば、もはや恐れはない。罪を贖われたゆえの畏れは、罪がない御使いたちの畏れよりも、さらに深く近しいものになるはず。それは「偶像をおそれる」感覚とはまるで違う。

それゆえ、ソロモンは箴言の中で「神をおそれることは知識のはじめである」といい、伝道者の書では「神をおそれることが人間にとってすべてなのだ」と結論づけている。

ダビデはサウルよりも、特に勇敢だったというわけではない。ダビデは神を畏れ、サウルは人を恐れていたのである。神を畏れることと人を恐れることは深くリンクしている。神を畏れるなら人を恐れなくなり、人を恐れるなら神への畏れは失せる。

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by lastsalt | 2016-01-17 11:35 | Comments(0)

人生初スプレー


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2年生の子どもたちのおもちゃランドのために、空き缶にスプレーするのをお手伝い。
人生初スプレー。
言いつけを守ってしっかりできた。
とっても気持ちよかったみたいで、担当した子どもたちはすごく満足気だった。
ただのゴミがスプレーしただけで宝物みたいになった。
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by lastsalt | 2016-01-13 23:13 | Comments(0)

1月のChapter29


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広報が遅れましたが、毎年リセットを繰り返しながらも、2016年の第1回を開催する運びとなりました。

と き  2016年1月16日(土)
     
     10:30〜12:00 信仰放談 
                 テーマ「おそれ」
     12:00〜14:00 周辺のレストランで食事
     14:00〜17:00 フリーな交わり 
                 
ところ  室生振興センター 

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」(Ⅰヨハネ1:3) 

古めかしい部屋でロの字型に座って雑談するだけで、人の目に麗しいものはほとんどありませんが、静かな喜びと深い味わいがあります。霊の潤いを感じる交わりです。いつでも誰でも参加出来ます。メンバーシップも奉仕当番も献金もありません。
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by lastsalt | 2016-01-11 20:40 | Comments(0)

貧しいけど抱負


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年初めにはやたら一年の豊富を述べたり、計画を立てたりする。もちろんそれなりのビジョンがなければ、のんべんだらりんと過ごしてしまうという恐れがあるからだろうが、強いられるものでない限り、別にそんなものは特になくてもいいような気がする。叶う気がしないような大きすぎる夢も、ちょっと頑張れば手が届くような目標も、何かを始める前から現実と理想のあいだに、妙な折り合いをつけるセコさが見え隠れして、公表する段階で何だか気分が萎えてしまう。自分なりに心に決めていることはいくつかないわけではない。人は現状には満足せず、よりよくなることを求めてはいるものの、ややもすれば現状に甘んじ、理想を実現するための努力を怠り、手軽にそれを得ようとして方法をあやまるものなのだ。だからこそ、人は理想をことばにして、怠け心にむち打って、それを目指そうとするわけだ。

私はどちらかと言えば格好つけで約束を守るタイプなので、ちょっと難しい約束をしてもいったん口にした以上は何としてもそれを実現してしまう傾向がある。これは約束を破って相手に迷惑をかけること以上に、約束を守れない自分になることを恐れているのだと思う。そんなわけで、私はある時期からは何を聞かれても適当にお茶を濁してやり過ごしてきた気がする。結果以上にプロセスを大事にするのも好きではない。自分の段取りどおりに進まないと機嫌が悪くなるタイプの人と一緒に仕事をして不愉快な思いをすることが多かったからかも知れない。私は段取りよりも柔軟な思考とキャパシティを重んじている。机上のプランよりも、現場をデザインできる力が欲しい。曲がり角でどっちに曲がるかを決めておくよりは、その場で選んだ選択を信じられる自分を保つこと、あるいは、その先何があってもくよくよしたりしないことの方が大事だ。もちろん、どっちに曲がれば何があるかぐらいは知っておくのも悪くないけど。細かい分析や予想をする連中ほど、かえって現場の戦力にはならない。

学生時代の偏差値や所属の肩書きや資産や年収で人を値踏みし、自分にとって役に立ちそうな相手にだけ媚を売る人々は、ソツなく人生設計を立てうまく生きて行くのだろう。相手が自分に無益と見なすや、その関係をプツリと平気で断ち切るのも、そういう連中にとっては計画通りの行動なのであって、その判断には大した葛藤も痛みもない。彼らに相応しい生き様だとさえ言える。うまくいかないことを自分以外の誰かのせいにする連中とは仲良くしたくない。今年も自分のペースで淡々と。それが猛ダッシュに見えたり、のらくらしているように見えたりするかも知れないが、誰かの無責任の視線を気にしたり、思いつきの口出しに耳を傾けたりするのは時間の無駄だ。「ゆっくり、でも、たしかに。」それが貧しいけど私の抱負。
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by lastsalt | 2016-01-11 13:43 | Comments(2)

ウオーク&雑煮


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Chapter29の洗礼槽として使わせてもらっている渓谷までウオーキング。
静かなせせらぎと時折鳴く鳥の声以外は何も聴こえない。
木々は葉を落とし、朽ち葉は土と同化し始めている。
散歩から戻り、4日目にしてわが家の初雑煮をいただく。旨し。
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by lastsalt | 2016-01-04 19:54 | Comments(0)