
私がサファリの後継車として選んだのは、2代目MAZDAアクセラスポーツ。いろいろ悩みに悩んで、最後は直感で決めた。まもなくニューモデルが発売されるのでお買い得なのだ。
2000CCのスカイアクティブエンジンを積んでいる。アイドリングストップは別にいらないかなという感じだが、ランニングコストも大事だ。17インチのアルミホイルを履いていて、ハンドリングが気持ちいい。その名の通り加速がスムーズで高速の安定感もある。ヨーロッパでウケるのもわかる気がする。
そして、個人的にはBOSEのサウンドシステムがいい。このオプションがついていたのが、購入の決め手だった。家では出せない大音響でガンガン鳴らして走れるのは実に快感だ。フルボリュームにしても音が歪んだり割れたりしないのはさすが。カーステレオでクラシックなんて聴けたものではないと思っていたが意外に繊細な鳴り方をする。もちろん、ジャズやロック系には抜群に相性がいい。イコライザーやエフェクト系がいっさいついていないのも私好み。さて、肝心のボサノヴァの再生だが、最高のボサノヴァレコードの音質がそもそもあんまりよくないので感想は微妙だが、イリアーヌなどは録音がいいので、ものすごくきれいに聴こえる。そう、再生力の高いシステムで聴くと、録音の善し悪しがはっきりわかる。
黒覆面をしているのも、ちょっとやんちゃで面白い。「赤影」というあだ名をつけた。
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by lastsalt
| 2013-09-30 23:19
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これ以上は望めないほどの好天に恵まれ、運動会を行うことが出来た。体育主任を任されていた若い頃は、天気に振り回され一喜一憂していたのを思い出す。そんな体育主任時代を除いて、毎年打ち上げには参加せず、片付けを終えるとそそくさと帰宅しシャワーを浴びて体を休め気持ちを切り替える。
当日は写真を撮る余裕がなかったが、とにかく心配していたいくつかのポイントはほぼクリアできた。学校というところは、この一日のイベントの為にかなりの労力をさいている。それがいいのか悪いのかさえよくわからないが、春に簡単に終えてしまうくらいならいっそ運動会などなくてもいいと思う。今時この効率の悪い力の入れ方は嫌いではない。若い初めての体育主任はよくやった。子どもたちも高学年はよく動いていた。
さあ来週からがいよいよ1年間の後半戦という感じ。
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by lastsalt
| 2013-09-29 12:08
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さらに、半沢ネタをもうひとつ。
アメリカン・プロレス並みのわかりやすさで、ベビーフェイスとヒールに分かれての対決。現代の水戸黄門などとも言われているらしいが、同じ勧善懲悪でも「半沢」は権威の側にはないので、立ち位置は水戸黄門とは真逆。この通常あり得ない下克上感覚がウケているのだろう。
半沢は大和田に「あなたが金の為に利用し、トカゲの尻尾として切った人々に対して土下座しろ」と言った。義憤を抱くのは大いに結構。しかし、人が自分の思い出や恨みを正義で覆い始めると危ない。「自殺した親父に詫びろ!」でよかったのだ。
この世で相手にされないようなヘタレ連中が、宗教で自己実現しようというのも似た心理だ。私はそういう人たちとは極力つき合わないようにしているが、彼らも私は苦手なので、最近は近寄っても来ない。
人は何を好み、何を支持するのか、私はいつもそういうことを面白がっているだけ。
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by lastsalt
| 2013-09-25 22:22
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もうひとつ、おまけの半沢ネタ。
上戸彩演じる半沢直樹の妻「花」は、あり得ないくらい理解のある妻を演じていた。あの器量と度胸で、しかも銀行員の夫の為に自分の仕事も辞めて徹底的に尽くす。帰りの遅い半沢をかなりの品数の料理(しかも、和食中心)で迎え、鞄をプレゼントする為だけに短期のアルバイトまでやる。こんな女、おるか?まあ、主人公もあり得ないので、これくらいあり得ない感じでバランスがいい。
「花」が大和田の妻と入れ替わっていたら、半沢も倍返しなんて出来っこない。男にとって、妻の力は小さくない。
「こんな奥さんならいいなあ」というのではありません。「私も妻に感謝しよう」という趣旨の投稿です。
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by lastsalt
| 2013-09-24 23:27
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ドラマ「半沢直樹」は、平成最高の視聴率だったとか。銀行の仕組みも知らない小学生までが、「10倍返しだ」などと言って遊んでいる。まあ、国民のストレスや世相を反映しての数字である。
最終回、半沢が裏切った近藤を剣道場へ呼び出し、竹刀を交えた後に彼を許すシーンはとても印象的なものだっだ。半沢の友情の深さに感動するのもいいが、「裏切り者として近藤を切るよりも、罪の意識と許しを与えた方が今後も使える」と考えた可能性もある。そうだとすれば、最終的に頭取が大和田を抱き込む判断を下した伏線であるともとれる。いずれにせよ、剣道で汗を流す場面があるので、このシーンは劇的なものとなり、説得力を増している。剣道の一戦がなければ、半沢のことばはもっと嘘っぽく響いたはずだ。
何もかも白黒はっきりさせるより、実は「グレーでどんな絵を描くか」が人生の醍醐味。大和田に土下座させた半沢が大して幸せな気持ちだったとは思えない。そう、グレーの色相を豊かにするのは、仕事以外の「何か」なのだ。
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by lastsalt
| 2013-09-24 20:34
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http://paxmaveiti.blogspot.jp/
(昨日、滋賀から来られたスミレさんのブログ)
同級生のK君が新米を届けてくれた。友が作った米を食うのは悪くない。
彼はよくしゃべる。しかも、話が面白い。甘い人生を生きてきたわけじゃないが、彼はいつもカラッと明るい話をする。いい奴だ。
「やられたら倍返ししていてはうまくはいかない。やられたら恩返ししたらみんな笑顔でいられんねん。」
「ええやん。そのことば。流行らせるわ」
というわけで、「半沢直樹」最終回。
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by lastsalt
| 2013-09-22 21:30
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昨日は、滋賀県から新しいゲストを迎えてのChapter29。
「遠いところをようこそ!」なんだけど、私以外の参加者は、姫路や神戸や奈良盆地の反対側から来られているから、みんな「遠いところをようこそ!」だ。
小さな集まりだが、逆にみんながフリーに話してお互いを知り合うにはちょうどいい人数だ。信仰放談の配信は、北海道から九州に至る多くの方々が聴いてくださっている。これはビックリするほどの数だ。準備らしい準備もなく好き勝手にしゃべらせてもらっているだけなのだが、毎回とても豊かで不思議な神様の祝福を感じている。
銀じ郎さんと私は同じ時期に救われ、それぞれに歩んで来たが、今改めてお互いの中に働かれるキリストの御手を見ることができるのが楽しい。そして、洗礼を受けたSIGNさんの中で起こり初めている大きな変化が眩しい。
さあ、来月はどんな面白いことがおこるかな?
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by lastsalt
| 2013-09-22 09:28
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みんなちがってどこがどんな風にいいのか?
みすずは、わたしにできることやできないことを小鳥やすずと比較して書いているが、大真面目にその能力や可能性を比べている訳ではないし、「どれも同じように大切だ」と言っているわけでもない。不得意なことではなく、得意なことを見つめましょうというわけでもない。ありのままのものをありのまま肯定するしかない諦観を感じる。「いい」というのは、「素晴らしい」とか「価値がある」というではなく、「現実を受け入れなければ仕方がない」という意味に近い。
わたしと小鳥とすずとは、初めから比べても仕方のないものだ。例えば、わたしと( A )と( B )という組み合わせで比較を試みてみよう。
いずれも小さくてあまり価値がないと思われているものにこそやさしいまなざしを注ぐみすず流に( A )に生物代表( B )に無生物代表を代入してみる。
例えば、「わたしとかえると新聞」「わたしとみみずとはさみ」「わたしとバッタと消しゴム」いずれもさえない。かえるや新聞やみみずやはさみレベルで自分を評価できたところで、慰めどころかもっと悲しくなる。
ジャニーズが歌う槙原のバカ歌を好む人々には同じ種類のメッセージに聴こえるかもしれないが、私はこの詩には全く異質なものを感じる。
小鳥とすずという絶妙のセレクトこそ、この詩をいきいきとしたものにしているのだ。卓越したセンスである。「、」や「と」は、「小鳥」と「すず」以外の様々な世界の断片へのイメージを広げる。
「それから」わたし。要するにこの詩は、世界のすべてに向けられたフラットなまなざしではなく、
「わたし」の詩である。
この詩は、みすずがまだ生きることに希望を持っていた時期の、自分の人生に対するギリギリの肯定の宣言でもあったのだろう。
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by lastsalt
| 2013-09-20 23:53
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