
中東の狂犬と言われたカダフィ大佐が亡くなった。
多くの日本人はカダフィのリビア国内での政治を知ることもなく、アメリカ発の情報操作を鵜呑みにしている。1969年以降、40年以上もリビアという多民族国家をいかにして長期的に安定させてきたかについて、少しでも覚めた頭で考えてみてはいかがか?コロコロコロ首相が代わり、挙句にドジョウまで出てくる植民地国家ではそれは難しいかも知れない。
カダフィ大佐は「強健」な人物で「強権」を行使したが、決して「狂犬」の類ではない。ニッポンの首相はアメリカの犬だが、そんな飼い主に従順な犬であることを毅然と拒むことによって「狂犬」という称号を得たのである。リビアでは石油産業を国有化した利益を国民の教育や医療の充実に当ててすべて無料。しかも、リビアの女性は他のアラブ諸国より圧倒的に自由が保証されており、高等教育の奨学金制度も女性の利用者が多く、高い社会的地位についたりしている。アメリカとソ連との「冷戦」の狭間で、そのどちらでもない第3の道を模索し、高福祉国家を実現した功績について少しは語られてもおかしくはない。
私は別にこの独裁者を少しも褒めるつもりはないが、無批判に「中東に春が来た」「民主化はけっこうなことだ」などと思っているとしたら、断じてそれは違いますよと言いたいだけだ。
旧約聖書エゼキエルの預言によれば、リビアはイランやエチオピアとともにロシアとの関係性を深める展開になるはずだ。
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by lastsalt
| 2011-10-29 00:39
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http://mottosrecoads.com/
ホームページ開設はかねてから考えていたが、S&Uのアートディレクターであり、プロのデザイナーでもあるUribossa氏のこだわりもあって、なかなか実現できずにいたが、ニューアルバム「約束の場所へ」のレコーディングも大詰めを迎えており、準備していたコンテンツがこれ以上時期を遅らせるわけにもいかないものだったので、このほどようやく公開にまでこぎつけた。
今のところ、前作「風のメロジア」のリスナーの皆さんを対象により楽しんでいただける内容が中心になっているが、これから少しずつコンテンツを充実させていく予定である。
風力の記号をクリックすると、作品解説やライブ履歴などの内容がご覧いただける。
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by lastsalt
| 2011-10-28 00:45
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鈴鹿工場は、元々にスーパーカブの工場としてスタートした歴史があるが、現在はホンダ最大の四輪専門工場となり、フィットやインサイトをはじめ7車種を月間2000台を生産している。
ホンダには、他の自動車メーカーにはないサムシングがある。私自身も、サファリの前にはシビックSiに、その前にはアコードに乗っていた経緯もある。
では、創業者である本田宗一郎の名言を!はっきり言って、私の中ではジョブズより上だ。日本人にもこういう奴が時々いるんだ。
「社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない」
(勲一等瑞宝章受賞授賞式に作業着で出席しようとしたとき)「技術者の正装とは真っ白なツナギだ」(しかし周囲に止められた為、仕方なく礼服で出席した)
(本社ビルを建設するとき)「万が一地震が起こったときに、割れたガラスが歩道を歩く人に降りかからないようにしなさい」(この言葉の通り、本社ビルの全フロアにバルコニーがつけられている)
(自らの葬儀に関して)「自動車メーカーの経営者が車の渋滞を起こすような、派手な社葬などしてはいけない」(この言葉の通り、宗一郎の通夜と社葬は行われず、各工場でささやかな「お礼の会」が行われた)
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by lastsalt
| 2011-10-20 22:04
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学習園の水田化は私もはじめての経験で、どの程度のことが出来るのかは未知数だった。実際にやってみて、初めてわかったこともある。知識が事実によって修正させれいくのは面白い。
除草剤を使わないと、これほどまでに雑草が生えるのかというのも驚きだった。稲にそっくりの雑草が株の周りに生えてほとんど見分けがつかない。穂を付け始めるまでは本当によく似ているので、間違って稲を抜いてしまった子もいるほどだ。毒麦のたとえを思い出す。
作物の生長には、作る者の計画と意思と忍耐があり、そして収穫がある。誰かが植え、誰かが水を注いだとしても、生長させてくださるのは神である。自然には恵みの側面と妨害の側面があり、それが微妙なバランスで人の労苦や喜びと結びついている。
生長は時のしるし。日本人は水田の情景の変化で季節を感じる。世界情勢は今や「いちじくの木」であるイスラエルに強引に注目が集められる時代となっている。イスラエルは歴史の時計である。
人は蒔いたもののあらゆる実を刈り取る時が来る。そして、最終的には、私たち自身が刈り取られる。
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by lastsalt
| 2011-10-19 00:40
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昨日の小室等のコンサートは先日のゴンチチよりずっと良かった。私の音楽的な嗜好から言えば、圧倒的にゴンチチ寄りなのだが、良かったのは小室等だ。それはなぜだろうか。
小室氏は目の前の夜中の生徒さんたちに語りかけていた。ゴンチチは聴き手が誰であろうが関係なく、自分たちの時間枠で決められた曲目をサラッと流しただけだが、小室氏は文化祭のテーマを夜中の生徒さんたちと一緒に追求しようとしていた。この違いは大きい。それはイベントの主旨やホールの規模だけではなく、根本的な演奏者の姿勢の問題だと思う。音楽に関わる動機の問題だと言ってもいい。
小室氏は、演奏を途中で止めて手話通訳者を自分の近くへ招いたり、花束を渡した生徒さんの降壇を介助したりもされた。さりげなくこういうことが出来るのは、彼がそういうことを大切にする生き方をしてきたからだ。
もうひとつ感じたのは、ゴンチチの音楽は手話通訳出来ないということ。「ことば」を持った歌は力がある。同時通訳出来る程度のテンポとわかりやすさが大事なのだ。
歌ってすごい。
そう言いつつ、ゴンチチ風のインストをニューアルバムに入れる予定のSaltでした。
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by lastsalt
| 2011-10-17 22:00
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天理の夜間中学は、私の勤務する小学校の敷地内にあるので、このところ毎年のように文化祭にも参加している。いつもは小学校の体育館とその周辺で開催されるのだが、今年は体育館の改修工事の為、文化センターで行われた。
福島自主夜間中学からも、代表者の方と84才の生徒さんがお越しになって話をされた。原発のこと、震災のことをテーマに交流や発表が進められた。
メイン・ゲストは、日本のフォークソングの草分け的な存在でもある小室等さんと、娘のこむろゆいさんのユニット。
日本のフォークソングと言えば、まず「言いたいこと」があって、その「言いたいこと」と言えば、けっこう暑苦しかったり、湿っぽかったりして、要するにダサい。しかも、音楽はオマケ的につけられたものが多くて、ほぼ感心するところはないというのが私の印象なのだが、小室さんは、ほとんど自分で詩を書かない。武満徹の曲を歌ったり、谷川俊太郎や中原中也の詩に曲をつけたりと、ちょっと変わっている。そして、声がいい。
率直に言って、「久しぶりに歌らしい歌を聴かせてもらった」という感想だ。娘さんとのユニットもちょっと羨ましかった。
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by lastsalt
| 2011-10-17 02:38
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