311から6年。
何も考えず、何も語らないではいられない。
311が911と同じく巨大な暴力によるものなのか、私は知らない。
しかし、原発の事故に関しては、天災とひとくくりに考えてはいけないだろう。
ことが起れば瓦礫のひとつも片付けず逃げて行く、いわゆる「儲ける側」の人たちの「アンダーコントロール」や「安心・安全」などということばの薄っぺらさに辟易としているのは私だけではあるまい。
私たちはもっと怒らなくていいのか。
もっと悲しまなくていいのか。
・・・・・・・
震災と原発事故が起ったとき、私は2枚目のボサノヴァ・アルバムを製作中だった。音楽の無力さを痛感し、もう何もかも終わらせようかとも思った。しかし、それでも音を奏でることの意味を問い直し、逆に何としてもこの年が終わるまでにリリースしようと思った。
希望を失っては人は生きられない。音楽は単なる気休めではない。そう思った。私も少しだけ楽器が触れることで、どれほど慰められたか知れない。
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
(辺見庸「死者にことばをあてがえ」より)
震災関連のコメントで、辺見庸のことばが一番しっくりくる。ひとりびとりの死者に、そして生き残った人たちの悲しみに寄り添える歌はないものか。そんな思いでアルバム「約束の場所へ」を制作した。
Sonho 〜夢〜 Salt&Uribossa
君の夢を見るけど 触れることは出来ない
僕の腕は短くて 君には届かない
目覚めれば 君は消えてしまうから
現実は まるで悪夢のようだよ
この街に君はもういない 僕の安らぐ場所もない
この街に君はもういない 僕の安らぐ場所もない
Sonho ひとときの仮初の逢瀬
そうよ ひとときの仮初のVoce
君はあの日のままで 僕だけが年を重ねる
いくら歌っても もう届かない
僕の記憶の中のすべての場面で
君はいつだって 微笑んでいたよ
この街に君はもういない 僕の安らぐ場所もない
この街に君はもういない 僕の安らぐ場所もない