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by lastsalt

沈黙


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かのマーチン・スコセッシ監督の新作「沈黙」がそこそこ話題になっているようだが、遡ること約半世紀、篠田正浩によってすでに映画化され、当時キネマ旬報でベスト2にも選ばれている。これには、原作者の遠藤周作も脚本で関わっているので、原作を如何に映像化できたかを云々(うんぬん←念のためフリガナ)するのであれば、こちらを見ておかない手はない。ちなみにDVDも販売されているし、you tubeでも見ることができる。

こうしたキリスト教関係の映画が作られると、「信仰的にはどのように反応するべきなのか」ということが必ず話題になり、私のところにも少なからず問い合わせがある。

踏み絵を踏むべきか、踏まぬべきか、結局この「べき論」が宗教の本質なのだろう。だから、自分が権威を認める誰かに尋ねたくなるのだ。

こともあろうに、日本のアナウンサーがスコセッシ本人に「監督なら、踏み絵を踏みますか」と尋ねていた。スコセッシが伝えたかったことは、信仰の正しさでも愚かさでもない。文化や社会の寛容や不寛容の問題なのだと思う。

何をどう感じようが、感じ方そのものなど修正できない。人は自己憐憫を抱えて生きているもの。登場人物の誰のどんな場面のどんな心情に自分を重ねるかは人それぞれとしか言い様がない。似たような経験をした人が同じものを見ても、感じ方はまたそれぞれ。後は美意識の問題だろう。

面白いのは、信仰のない人たちが信仰を表面的に描いているので、拷問を受けたり、泣いたり、叫んだりしている人たちが、いったい何を信じているのかが、さっぱり描かれていないということだ。
私も自分でまともに聖書を読むまでは、こうした周辺情報に触れまくって、相当なアレルギーになっていた。キリスト教ほど胡散臭いものはないと。まあ、その感想に関しては今も同じか・・・でも、キリスト教がイエスに関するひどい噂であることはよくわかった。

作り手目線で言えば、「キレイか、キライか」という表現がしっくりくる。

今月は、Chapter29でも「沈黙」をテーマにする予定だ。
by lastsalt | 2017-02-06 19:19