SIGNの写真茶話会は、おそらく写真やカメラの同好者の集まりの中では希有な位置づけがなされるだろう。今このスペースでこれをつらつらと書こうとは思わないが、そこに集まってくる人や作品のユニークさは類を見ない。ずっと写真嫌いだった写真館の奥さんや日本画家で美術教師のお嬢さんはもとより、元広告デザイナーや、現花火師の作品や話が実に面白い。
昨日は銀じ郎さんをのぞく、フルメンバーが集まり、おまけにOBのラッキーさんや、ご友人の写真専門学校元講師の方もお越しになって、アディショナルタイムを含めると、過去最大のサイズだった。いったんお開きになってからのおっさん4人での語らいがまた盛り上がった。事実は小説より奇なり。
シャッターを切った瞬間に写真の中では現実は仮相現実になると言うが、その差異や違和感をどう楽しむかが写真表現であり、それをどう見せて他者と共有できるかがポイントになるのだろう。被写体との関係性や、レンズではなく肉眼の眼差しの奥になる思いを写真それ自体で語りきるのは至難の技だ。鑑賞者に判断を委ねるという賢さ(小狡さ)は、真摯な表現者にとっては唯一の正解なのか、それとも逃げなのか。答えは簡単ではない。