【舌禍】自分の言論が法律・道徳などに反していたり、他人を怒らせたりしたために受けるわざわい。
あの少年Aが手記を出したと話題である。おっさんAでは深刻めいたタイトルとは釣りあわないので、元少年Aという名義で出版された。
そもそも当初から少年Aが犯人だったのかどうかということが大きな話題となり様々な裏情報が飛び交っているが、私は彼が犯人であるという前提で「聖なるタンク山」という手記を書いた。神戸在住の銀じ郎さんの案内で現地も取材したのが懐かしい。
少年の他に真犯人がいて裏にいっそう深い闇や陰謀が潜んでいる可能性は完全に否定はできないが、仮にそうであったとしても、当時の世の中の反応が事件の猟奇性そのものよりもいっそう猟奇的であったことを、私は同時代に生きる教育者のはしくれとして記録する必要に迫られていた。
今回の手記を私はまだ部分的にしか読んではいないが、そのうち自分のタイミングで全文を精読することだろう。いずれにせよ、「言論の自由」は守られるべきであり、この犯人が何を今考えているかは極めて重要な情報だと言える。その重要性は、遺族が納得する上辺だけの謝罪の手紙の比ではない。とは言え、私はこのひとりよがりな告白をいささかも評価しているわけではない。タイトルで揶揄したとおり、まさに「舌過」である。「出したときは気持ちいいけど、後は激しい自責の念」という型どおり。おじさんになってもなお未分化な性衝動をひきずる元少年Aは実にあわれだが、あれだけのことをやったのだから自業自得。とことん償ってもらわないと仕方がない。
こうした価値を相対化出来ずに感情的に「売らない」「買わない」と騒いでいるうちに、油まきおじさんBや焼身おじさんCが続々登場するのだ。まともな大人があんまり騒ぐのは、元少年のふしだらな快感に協力しているようなものだ。