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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


by lastsalt

光と闇


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中国の詩人、杜甫の「丹青引」の中に、「必逢佳士亦写真」という部分がある。これが文献にでてくる最初の「写真」という言葉らしい。

13世紀、「カメラオブスキュラ」というピンホールカメラのようなものが使われ始める。写真と絵画の対立が議論されるが、実はフェルメールなどは、これを利用していた可能性もある。さらに、この原理については、春秋時代の墨子や古代ギリシャのアリストテレスもそれぞれに書き記しているので、その原型の発明はもっと歴史を遡って考える必要があるようだ。これが江戸時代に日本に伝わり「写真鏡」と名付けたのは、土用のうなぎやエレキテルで有名な、かの平賀源内。

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19世紀になって、ダゲレオタイプが発明され、ジョン・ハーシェルが、photo (光)の、graph (画)という意味の、photographという言葉を作る。フォトグラフより写真ということばが先にあったわけだ。

技術の目覚ましい進歩によって、誰でもそれなりのものが撮れるようになった。「バカチョンカメラ」という好ましくない呼称もそうした事実を揶揄した表現である。

私は写真ということばが、それほど好きではない。つくづく写真には真などあまりない。むしろ、「撮り手の用意した嘘をでっちあげるためにカメラに手伝わせている」といった方が近い。そうしたことも理解した上でカメラで遊ぶのは悪くはなない。人間はどこまでも嘘つきで、真実などみえていないものだ。「これこそが真実」などという嘘くささには耐え難いほどの嫌悪感がある。

写真は単なる光の絵だ。無意識にせよ作為にせよ、撮り手がシャッターを押すときには、確かに偶然ではない何かが働いている。それを読み解くことは無意味ではないが、そこにある情報など初めから「たかが知れている」のだ。そういうことをちゃんとわきまえることが大切だ。

人の心の闇はもっと深い。
by lastsalt | 2015-03-07 11:26