惚けた祖母へⅠ
古びて錆ついた船のように
あなたはよどんだ入江から
焦点の定まらない瞳で遠い海を見ている
縮んで隙間だらけになった脳は
深海の泥のように眠り
もう辛かった航海を思い出すこともない
惚けた祖母へⅡ
バラバラになった時間は
もう二度ともとには戻らぬパズル
ただ不可解な断片と戯れるばかり
かつて私を抱いてくれた腕も
今はなえて垂れ下がり
自分の口に命の糧を運ぶことさえ忘れてしまった
惚けた祖母へⅢ
あなたはあなたのかたちをしたにんぎょうになってしまった
わたしのなかのあなたもあなたのなかのわたしも
なにもかもこわれてしまった
あなたがばつをうけているのか
わたしがばつをうけているのか
だいすきだった
ばあさん
この3つの詩は1999年に上梓した「生贄たちの墓標」に収めたもの。
私は祖母に何一つしてあげられなかった。
惚けていくのをただ見ているしかなかった。
彷徨えば、探して迎えにいくしかなかった。
家に連れ戻っても、そこが自分の居場所であることさえ理解出来ず、
涙を流している私を赤の他人だと思って、バカ丁寧に礼のことばをのべた。
母を守るため、最後は施設に預けることになった。
最後は家族と離れた場所で、祖母は静かにその一生を終えた。
祖母が亡くなった次の日、娘が生まれた。
祖母が亡くなったのは12月31日、娘が生まれたのは1月1日。
神は圧倒的な主権を私に示し、慰めを越えた力で今日まで私を支えて来られた。
私は一切に絶望しているが、まだ神には絶望していない。
悲しみは癒えることなどない。しかし、神は私の悲しみをよく理解しておられる。
それが、私の信仰の根幹だと言える。
かの御方は「悲しみの人」である。
写真はマリオ・ジャコメッリ。