小学校3年生だった私は、あの頃、何を感じ何を考えていたのだろう。正確に思い出すことなんて出来ない。でも、手がかりがあれば何か思い出すことができるかも知れない。そう思った。
私は小学校1年生の3学期から5年生の2学期まで海のほとりの町に住んでいた。いろいろ思うところあって、実に40年ぶりに当時住んでいた家を訪ねてみた。これといった特徴のない忘れ去られたような場所。どうにでも似たような場所がありそうなおよそ魅力を感じないところだ。
子どもの空間認知の規準は自分のからだのサイズなので、今見ると、町全体が小さくなったように見える。当時は大冒険のつもりで出かけた場所も、けっこう目と鼻の先だったりする。仲の良かった女の子の家には同じ表札が今もかかっていた。あの頃、毎日のように遊んでいた周辺の狭苦しい路地や小さな空き地も、きらきら輝いて見えたのはなぜだろう。同じ場所に立ち、歩いてみて、ことばにならないいろんな感覚が少しよみがえってきた。
特別なことは何もおこらなかったが、私はたぶんとても幸せな少年時代を送っていたのだと思う。今興味のあるものだけを追いかけて、明日は遊ぶことしか考えていなかった。昨日の失敗なんて思い出したりはしなかった。時は不可逆に流れていくけれど、かつて子どもではなかった大人はいない。
今回の散策で私は「そんな子どもであった私が大人になった今の私を背負っている」ようなイメージをもった。今度のアルバムには少年や少女をテーマにした曲を何曲か収録する。私にとってそれはずっと大切にしているテーマなのだ。
大人の目線や教師の視点だけでは、子どもたちの心に寄り添うことはできない。もともと「寄り添う」なんて言い方そのものが大人の自己満足ではないか。
あの路地が未だに舗装されていなかった。まるで奇跡を見たように嬉しかった。