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by lastsalt

つながる


茨城のまこさんのブログの記事を転載します。テーマは「つながる」でしたが、サクサクつながってる感のある文章です。より多くの方々とシェアできればいいなと思います。

以下は、私がsaltさんに送った感想文章です。(その下にも2回目に聞いた時の感想が加筆されています)

よく、メッセージを聞いて、今日のメッセージは自分の為に主が用意して下さったものだ、自分に向けて主が語って下さったと云う人がいますが、今日の配信は、正に、そんな風に感じました。誠に、現在の私にとって、タイムリーなものだったのです。でも、先月の慰めについてもそうだったので、これは、毎回、誰にでも、同じように、主は語り掛けて下さっているんでしょうね。

今回、思い掛けず、胸が詰まって、涙が溢れてきた箇所は、「私たちは、ネジの一本かもしれないけれど、確実に主の部品であり、集まる人数が少ないとか、毎週教会に行けてないとか、建物を持ってないとかをを卑下したり、落ち込んだり、悲しむ必要はないんだ思う必要はない」という内容の箇所でした。

最近、体調悪しで、教会どころか、友人との楽しみにしていた集いとか約束も全部キャンセルして、人との交わりから遮断されたような状態の中で、私は色々思うところあり、行き着いた結論が、正に、これと同じことだったのです。

非常に嬉しかったです。Saltさんの言葉を聞いて、同じことを示されていたことに感動しました。主のメッセージには一致があり、真理は一つであると思いました。最近、思うのは、キリストの体や教会というものは、あちらこちらにあるのではなく、大昔から、たった一つであるということ、その体の一部分を、キリストに連なる神の子とされた、救われた者の一人一人が担ってて、会ったこともない人であっても、キリストの体の一部分であるならば、同じキリストの体の中の一肢体なんだということです。だって、目は髪の毛の先なんか、鏡を通してでなければ見れないけど、同じ体の一肢体だってことには変わりないから。

配信を聞いて、でも、肢体は互いに影響し合うものだと教えられた。配信で語られていたのは、「エチオピアの宦官が使徒に、たった一度、会って教えられたように、誰かの言葉で、信仰を持ったりすることがあることや、サウロがアナニヤによって目が開かれたように、信仰を持った後でも、誰かの言葉で目が開かれたりすることがあるんだ」ということでした。

だから、集い合うことは大切だけど、体調不良で集えない状況であっても、キリストの体の一肢体であることには変わりないし、キリストに繋がってる限り、体の一部分であり、ネジの一本とされているんだなあって思えて、本当に自分が最近到達していた境地に一致していたことが嬉しかったです。ウオチマン・ニーやルークさんに会ったことはなくても、人生の転機になるような教えを受け取ったりすることも体の肢体が影響し合ってる一例と言えるのだと思います。

ベタベタすることが繋がってることじゃなく、キリストに繋がってるなら、結果的に、体の一部分であり、必然的に繋がってるんですよね。嬉しい真理です。毎度のことながら、この配信に期待して、期待外れがないのも素晴らしいことです。主が真ん中にいてくださるんですね。感謝なことです。

また、癒されなくても物事が好転しなくても、そこから何かを語ってくださる主のみ声を聞けるのは、本当に幸いなことですね。主は主ですから、何があっても変わらない方で、私たちの本国は天にあるのですから。

以上は、saltさんに送ったメールのコピーです。

それに加えて私が感じたことを書きます。
saltさんは、キリストと繋がることを、サーバーに繋がっていると表現されていました。私たちはキーボードや画面に過ぎないのだと仰っていました。

私は、体で言うならば、キリストが脳幹であり、全ての体の肢体は、脳幹の司令通りに動くものだと思うのです。サーバーに繋がっていなければ、コンピューターは動きません。手も足も目も耳も脳幹に繋がっていなければ、脳死状態なのです。父はこの状態が6日間あって、亡くなりました。家族はこの状態を見るのに忍びなかったです。生きる屍、本当に、キリストに繋がっていない人間は脳死状態なのです。脳幹が破裂して、脳死してしまった父は、手も足も動かせず、言葉も喋れず、意識もありませんでした。人間はキリストと繋がっていてこそ、本当の意味で生きるのです。キリストに繋がっている限り、人はキリストからの伝達を受け取って、なんらかの機能を果たします。その時に、手は足に向かって誇ることをせず、足も手に向かって誇ったりしませんし、自己卑下もしないでしょう。各々の機能を自然に果たすのみです。

聖書の中に、キリストの体について、体の器官に擬えて説明されているのは、実に絶妙ですね。きっと、人の体の繊細な機能は、キリストの体をモチーフとして、主が造り上げたものなのでしょう。驚くべき主の知恵と奥義の深いところですね。

つらつらと感想を述べてきましたが、今回の配信で最も大事なポイントは、「生まれながらの私の全ての罪と咎が、キリストの十字架で処理されたのだということを、自分自身のこととて受け止められ、しっかりと、そこにジョイントし、連結し、繋がっていることこそ、頭と繋がっていることこそが、本当の意味での繋がりなのだ」という内容のsaltさんのメッセージにあると思います。

「あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。 」コロサイ2:18,19

by lastsalt | 2013-12-01 10:40