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三島由紀夫を殺した平岡公威


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「憂国忌」が近づいてきたので、この季節は三島について語られることが多い。私も何年かに一度は作品や関連の書物を読み返すようにしている。最近Lukeさんが三島の葛藤をパウロの同胞への思いと重ねて論じていたのが興味深くて、それをきっかけにあれこれ思いめぐらしていた。

昨日電車の中で暇つぶしに読んでいた宮台真司の「三島由紀夫に死を」という論考に「わかってないなあ」と感じたので、私なりにちょこっとだけ書いてみよう。

「自分のためにだけ生きて、自分のためにだけ死ねるほど人間は強くない」この三島のことばは昔からとても気になっている。

「頑張らないと自分が損をするよ」式の動機付けには限界がある。なぜなら、「損してもいいから放っておいてくれ」と言い返されたら、それでおしまいだからだ。「他の誰かの為になら、もう少し頑張れる」と言う方が少しだけ気が効いている気がする。損や得は軽すぎる。

20年以上前、道徳の研究授業で「ポトマック川の英雄」というアメリカの旅客機墜落事件を取り上げたことがある。自分のいのちを顧みず、見ず知らずの乗客を助けた人の記録を子ども向けの読み物にしたものだ。私は当時の新聞記事や周辺の情報を提供して、その行為について考えさせた。授業後の研究協議では、授業の組み立てや学級の雰囲気には非常に高い評価をいただいたが、「いのちよりも尊い価値があるかのような煽動」という懸念の声があがった。それは予想もしなかった興味深い反響だった。誤解を恐れずに発言すれば、「自分のいのちが一番大事」という道徳は、実に薄っぺらいものだと感じた。

三島の文学は虚飾に満ちているが、同時に彼は自らのことばの薄っぺらさがどれほど生の本質と乖離しているかも痛いほど認識している。

そして、「日本人」としての共同意識を維持させる為には、「天皇」というフィクションが必要だということも三島は知っていた。天皇が神なんぞではなく、便宜上の道化であることを歴史的に政治的に理解していた。

「ことば」が肥大した虚弱児であった三島は、その青年期のコンプレックスを跳ね返すため、精神よりも筋肉のリアリティーを信じ愛した。そして、自分の美意識の中にいのちを封印した。的外れの栄光よりも理性による嘲笑を欲し、怠惰よりも苦痛を、そして、退屈よりも死を選んだのである。

三島文学という嘘に騙されるほど平岡公威(三島の本名)は馬鹿ではなかったということ。
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by lastsalt | 2013-11-12 23:15 | Comments(0)