「今や私は、きょうでもう85歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです」(ヨシュア記14:10~11)
これは、カナンにおいてカレブが相続地をめぐってヨシュアに語ったことばの一部である。カレブはカナンを偵察した40歳のときから、85歳になるまでの45年間、全く衰えていないと語っている。
カレブが壮健なのは、ただ「みことばのとおりになる」と信じていたからだ。そして、まだカナンの征服が完了したわけではないので、そのことを成し遂げる為に、まだ自分は動けると言っているのだ。軍人であることに固執して、老兵がのさばっているのではない。
然るに神の評価は、「彼はイスラエルの神、主に従い通した」(ヨシュア14:14)である。
新約時代を生きる私は、厚かましくも、現状維持ではなく右肩上がりを狙っている。カレブ同様、「若さを保つ」とか、「老いに逆らう」とかいうことはあまり意識はしていない。その先の天への憧れに満ちている。
オプションの小さなのぞみとしては、ジョアン・ジルベルトみたいに、爺さんになっても若い頃以上に味のある歌とギターで奏でていたいものだ。
そして、地上においては、弱さのうちにこそ神の力が現れ、死と同じようになればそれだけキリストのいのちに満ちるというのが聖書の約束である。「若さ」の秘訣を語ること自体、少しピントがずれているのかも知れない。