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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


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なんかいいなあ・・・


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いつも一緒に勉強している女の子が、自分(左)と友達(右)と私(中央)を描いてくれた。
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by lastsalt | 2016-06-30 23:43 | Comments(0)

今日のお客さま


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去年より部屋が広くなった分、ちょっと過ごしやすくなった。
みんな好きにやってるけど、けっこう礼儀正しかったりする。
「ありがとうございました」「また来ていい?」なんて言いながら、チャイムを守って帰って行く。
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by lastsalt | 2016-06-29 23:11 | Comments(0)

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by lastsalt | 2016-06-28 20:23 | Comments(0)

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図書委員会が朝の時間を利用して、低学年に読み聴かせ。
まだまだつたない読みだけど、お兄ちゃんたちの真剣さに引き込まれ、静かに聴き入っていた。
いい取り組みだなと思う。
明日は、地域のお年寄りを迎えて全校で歌の集会。
当たり前のことが当たり前に出来にくくなってきた時代だけに、こういうことが普通にきちんと出来ていると、とても嬉しい。
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by lastsalt | 2016-06-27 20:36 | Comments(0)

にわか学生


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大学で一日講座に出席。 たまに聴くのも悪くないけど、ちょっと疲れた。
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by lastsalt | 2016-06-26 20:03 | Comments(0)

セカイの広さについて


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私のB級研究テーマのひとつに、「日本のサブカルチャーを相対化すること」がある。

子どもの心の成長を臨床的な眼差しで見つめていると、国語や算数の教科書よりも、コロコロコミックや少年ジャンプの影響の方が大きいのがわかる。何歳でどんな遊びをし、どんなヒーロー像を描いていたかということが学力やコミュニケーション力と大いに関係があるからだ。

小中学生を中心に人気の高い「sekai no owari(セカイノオワリ)」というバンドがある。街にも校内放送でも頻繁に流れて、嫌でもこのバンド名を耳にするようになり、そのメッセージとともに若者たちの熱狂ぶりにずいぶん驚かされた。「この現象はいったい何だろう」と興味を持ったが、同時に決して好きにはなれない壁や違和感を感じた。
 
「sekai no owari(セカイノオワリ)」のリーダーであるFukaseくんは、ADHDやパニック障害にも悩み、留学の失敗や人間関係の行き詰まりもあって、「自分にとって世界が終わったような生活を送っていた頃に、残されていたのが音楽と今の仲間だったので、終わりから始めてみよう」ということでこのバンド名にしたらしい。バンド仲間は全員お友達。共同生活をしながら、活動を続けているという。

日本のサブカルチャーの諸分野の類型のひとつを「セカイ系」と呼び、わりに否定的な評価も含めて語られているが、まさに彼らが命名したバンド名が「セカイノオワリ」であること、ファンが「セカオワ」などと略して普通に受け入れていることに、ちょっと恥ずかしいものを感じた。
 
セカイ系のセカイ観で描かれた物語は、アニメにせよ、ゲームにせよ、音楽にせよ、彼らが認識しているセカイの狭さに驚く。自分が属する小さな共同体以外にセカイなど存在しないのかのように、身勝手なことばを紡ぐ。彼らにとっては自分の居る場所がセカイの中心であり、そこで叫ぶ愛こそが何より大事なメッセージで、それを受け止めてくれる者だけが仲間なのだ。

私とは一生出会うこともない誰かをも包む壮大なバックグラウンドを世界というのである。今だけでなく、過去も未来も含めて世界である。それなのに極めて限られたごく身近な範囲のことしか知らず描けないのに、それを「セカイ」と名付け、始まりにも維持にも貢献せず、平気で「オワリ」ということばを使う。

自分の焦燥感や閉塞感を、世界の混沌とリンクさせて、「何もかも終わってしまえばいい」という諦観を持つ。

ある種の特殊能力とともに意にそぐわぬ使命を与えられ、激しく葛藤する。そこにキミとボクの2人だけの恋愛が絡み、滅びゆくセカイ、救済されるべきセカイは、単にキミとボクのラブストーリーのクサい背景として描かれる。こうした極めて幼稚な物語性にどっぷり浸かってしまえる貧困さを嘆かざるを得ないのだ。
 
リアルなセカイでの生きる力を考える上では、子どもたちが夢中になるサブカルチャーをしっかりウオッチングしておくことも大事だ。でも、何でも鵜呑みにして、子どもたちが好むものに理解を示すことで物解りのいいフリをする大人にはなりたくない。

とは言え、私はサブカルチャーが低俗でメインカルチャーのセカイが豊かだなどと思っているわけではないし、そこに歩み寄ってエラそうに理解を示そうなどと思っているわけでもない。この年齢になっても、私自身がサブカルチャーのささやかな担い手であり、クリエイターでもあると思っている。私が個人的に好きな漫画や映画や音楽が、文化史の中で必ずしも輝かしい評価を得ているわけではない。

それでも、美には評価の大小によらない見えない物差しがあり、それを丁寧に言語化することに意味があると信じている。

参院選に関わるTV番組で、党首がセカイのことをあれこれ語っていても、本当にこの人たちの頭の中には、幼稚なモデルしかないんだなあとしみじみわかる。彼らが国民というとき、誰と誰を思い浮べているのだろう。小学生が自分の欲しいものを「みんな持っている」というときの「みんな」ということばの方がちょっとリアリティーがある。

舛添さんのセコい金遣いこそが彼のセカイの範囲、子どもに買い与えたクレヨンしんちゃんの漫画が彼のセンスなのだ。彼がどんなサブカルチャーを味わっていたのかも興味がある。
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by lastsalt | 2016-06-25 12:30 | Comments(0)

ルーとダリ


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先日、あるところで、ふとしたことからルー大柴の話題になり、日頃意識することもない彼の存在を何年かぶりに思い出したところ、薮からスティックにこのインパクトのある画像が、目にダイブして来た。ネクストマンスから、オールド・キャピトル京都で開かれるダリ展のポスターに「どことなくダリに似ている」ということで起用されたようだ。いやいや、表情や成りきり具合がかなりのクオリティーじゃないですか!!

「井の中のフロッグ、オーシャンを知らず」とか「寝耳にウオーター」とか「言わぬがフラワー」とか「合わせるフェイスがない」とか、意外に名言(私が思っているだけ?)も多い。最近は英語教育の世界でも、英語に怖じ気づくより、むしろ馬鹿になって明るくコミュニケーションのツールにしてしまうこのルー語が見直され、「みんなでトゥギャザーしよう」という流れもあるとか、ないとか・・・・・

ことばは、大事だけど、ことばはバベルで創造主によって意図的に混乱させられたもの。「この表記が、この翻訳が正しい」という理屈は時として滑稽。本当に大事なことは、ビヨンド・ディスクリプションなのよ〜ん。

画像はルーさんご本人のブログより。下の青文字コメントもルーさんのもの。

エブリバディ、サンキューソーマッチ。

ダリさんにルックスライクなルー大柴でした。

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by lastsalt | 2016-06-24 23:29 | Comments(0)

赤い傘


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梅雨の鬱陶しい季節。各地で雨の被害もあるけれど、気分を変えて絵本の御紹介。

太田大八の「かさ」という作品。ことばはない絵だけで綴られる物語。

Salt&Uribossaも、今年10周年を迎え、久しぶりに3枚目のフルアルバムをリリース出来ればと準備中だが、その中に「赤い傘」という曲が入っている。

私が書いた歌詞のコンセプトとは少し違うけれど、この表紙の絵があまりにも素晴らしかったので、現物が欲しくなってAmazonで衝動買い。

こんな絵本、私もいつか描いてみたい。
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by lastsalt | 2016-06-23 10:30 | Comments(0)

Chapter29に想う


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神様からの語りかけを聴いたなら、伝えずにはいられない。神様の贈り物をいただいたなら、分かち合わずにはいられない。それは伝えることで確かになり、分かち合うほどに増えていく。

神様のなさることは、いつも人の考えや計画を遥かに越えている。私はいつも自分の経験や知識に裏切られ、そのたびにひれ伏して礼拝する。

毎月のChapter29の集まりで、私は奇跡を経験している。遠方から毎回喜んで集まって下さるひとりひとりのの背後に、配信を聴いてくだっている方々の背後に、神様の御手を見る。
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by lastsalt | 2016-06-23 00:54 | Comments(0)

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斜に構えた書きぶりで、ちょっとわかった風のことを書いて自己満足するような趣味は、私にはない。自分は日本人ではないかのように日本のことをボロクソに書いたり、自分は誰をも差別しないかのように人権派を気取ったりする人たちのことはあまり感心しない。困難な状況を描写して、揶揄して、批判して、それで何の責任も負わず、何かあれば我先に逃げて行く様な連中は軽蔑している。聴く耳を持たずに主張するばかりの唯我独尊・我田引水の方とも一線を引いている。

私は批評家でも評論家でもない。誰かに気を使って発言する利害関係もない。だから、何かを書こうが書くまいが、誰も困らず、世間に大した影響もない。何かを恐れて沈黙しているわけでもない。ネットで発信したくないこと、出来ないことは、直接伝えたい相手に伝えているだけだ。私はそれほど賢い者ではないが、突然馬鹿になり、やる気を失ったわけでもない。衰えてもいないし、腐ってもいない。私は私の手の届くところ、自分が確実に責任を負える範囲でこそ力を注いで生きている。ネットはあくまでもオマケ。

しかし、あまり意味のあることを書かないでいると、「塩味のキレたSaltは用済みだ」「もうSaltなどと名乗るな」などというお叱りもいただいたりする。面白い意見ではあるが、こういう方が、ちゃんと自分の名前と所在をはっきりさせて、何らかの意味のある発信をしておられるのを見たためしがない。「お前こそがんばれよ」と言ってやりたいが、基本的に匿名さんは相手にしない。

そんなこんなで、今日は、舛添さん問題の本質についての続編をもう少し書いてみようと思う。たとえ、何かの間違いで私が都知事になったところで、どれだけのことが出来るかというのは甚だ心配である。実は何かを語る時に、こうした視点はとても大事だ。キャッチボールもまともに出来ないおっさんが、スタンドで酔っぱらいながら、渾身のストレートをホームランされたマウンド上のピッチャーに野次を飛ばすような言説ほど見苦しいものはない。「気づいていても、わかっていても、簡単にはどうすることも出来ない構造の問題について、それぞれの立場できちんと責任を分担しながら考えましょう」という話をしたいのだ。

先にも書いたように、問題はもっともっと根深くて、広い範囲に及ぶものだと思っている。従って東京都民でもなく、知事になる可能性が0パーセントの私であっても、何らかの意見をもって発言すべき事柄だと考えている。

今回、舛添さんは知事を辞めたことによって社会的制裁を受け反省したという一定の形を保ち、結果として議会の追求を避けた。果たしてこれを辞め得と言えるのか。議会は勝ったのか。有権者はこれで気が済んだのか。一体誰が得をしたのだろう?何が一番大きな損失なのだろう?舛添さんの資質を抜きにして、税金の無駄使いにだけフォーカスすれば、新しい知事を選ぶ選挙に50億も使うほうが、さらに大きな無駄使いである。ちなみに過去の知事も任期を全うしていないということをお忘れなく。4年間に3回の選挙で、トータル130億円超とも言われる血税が自動的に支出されるのだ。中国服は何着買えるだろう。無駄とは一体なんだ?税金とは?選挙とは?政治とは?根本的なことを何も考えないまま、「舛添さん=Sekoi 」「知事=痴辞」で簡単に納得していてはいけないのではないか。
 
この件で知事の不正を告発した人たちは、本当は何を隠そうとしたのだろう。舛添さんは多くの随行者を伴って派手に外遊をしたと言われるが、元々予算化されている枠を越えた費用が裏金から出ていたとすれば、これは自分の子どもの洋服や漫画本や回転寿しに使ったものとは性質の異なる支出だ。都知事の宿泊費の上限は実は条例できちんと定められている。上限額は滞在地によって若干異なるようではあるが、これを毎回大幅にオーバーしているとすれば、差額はどういった予算枠から出るのだろう。その豪遊に金魚の糞のように随行した連中は、一切おとがめなしなのだろうか?予算はそこまでどんぶり勘定ではない。

ここで、舛添個人の政治資金とは関係のない都の不透明な自主財源(裏金問題)に触れることになる。地方交付税交付金を必要としない大都市東京は、国の監督下にはない独自の汚れた金庫を持っているはずだ。舛添さんは知事になる前に言ってたこととその後の行動が噛み合わなくなったのは、彼の「せこさ」ではなく、その逆の「幼児的全能感に似たもの」(状況を客観的に把握出来ない調子にのった大胆さ)ではないかと思える。これは前回指摘した屈折した特権意識が根っこにあってのものだ。もともと汚れた金がこんなに潤沢にあるんだから、ボクの裁量でなんとでもしてやる。前知事とも前々知事とも違ってボクはちょっとだけ頭いいんだから・・・きっとそんなふうに高を括っていたに違いない。もしかしたら、舛添さんは闇世界の何らかのタブーに触れたのかもしれない。

今回のオリンピックのスタジアムやエンブレムをめぐる醜態を見てもわかるように、背後にはお粗末きわまりない利権構造が明確に存在している。これらの滑稽な茶番劇(にしては規模が大きすぎるが)の舞台である東京は、日本の縮図そのものであり、戦後の日本人の価値観を反映している虚構の都市空間である。なかみは空っぽ。そこは、もはや生き物が健やかに棲める場所ではない。世界に向かって価値ある提案ができるようなコンテンツはない。
 
だから私は、今後も大きな時代の潮流と距離を置きつつ、地方の小さな田舎に棲み続け、お互いの存在を確認し、体験や感情を共有できる範囲の方々とともに、ささやかでも確かな手応えとあたたかみのある交流を続けていきたい。

一個人に出来る事は実に小さい。しかし、今、世の中で起こっている様々な事柄から目を背けず、自分の感じたことや考えたことをことばにすることは出来る。「自分はこう思う」という何がしかの発信をする力を持つ事は、デタラメな情報に飲み込まれないための最初の防御であると私は思う
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by lastsalt | 2016-06-20 18:40 | Comments(0)