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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


by lastsalt
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未来へ漕ぎ出そう!


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今年は思いがけず、シーカヤックまで始めたSalt。
いくつになっても新しい挑戦はワクワクするもの。
職場でも、後輩たちには過去の経験ではなく、今の実践で語れることばを持ち続けたい。
お世話になった方々への感謝をこめて。

2015年もあと30分をきった。
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by lastsalt | 2015-12-31 23:34 | Comments(0)

りゅうじさんの思い出


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旅の音楽家・丸山さんから電話がかかってきた。それは中越地震のボランティア・メンバーでもあったブルースシンガー・りゅうじさんの訃報だった。

豊かな声量がありながら、ただ朗々と歌うだけでなく、繊細な表現でしっとりと心に沁みる「うた」を聴かせてくれたりゅうじさん。おもむろにギターのストラップを外して、ネックを客席に向け、サウンドホールに声を響かせながら歌う「イマジン」は、あの清志郎さえ彷彿とさせる完成度だった。富山の花詩織で歌ってくれた「浜千鳥」は、私もその後のコンサートでは、被災地のエピソードを交えながら歌ったりしたものだ。

被災地でのコンサートやそれに至るさまざまな活動は、当時「作り手」としてのこだわりが強すぎた私が、「歌って何だろう?」「音楽にできることは?」という根本的なことを問い直す経験にもなった。りゅうじさんの在りし日の雄姿を探してみたが、残念ながら見つからなかった。SIGNさんやつっちゃんなら持ってないかな?

昨日は、丸山さんから、りゅうじさんを知る音楽仲間で同じ時間に彼の十八番だったイマジンを歌おうという呼びかけをいただいていたが、先の約束があったので指定された時間にそれは果たせなかった。今夜、ひとりで静かに口ずさんでみよう。
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by lastsalt | 2015-12-31 16:10 | Comments(0)

旧友と交わす杯年の暮れ


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昨日は、東京在住の友人の帰省に合わせて、青春の町で懐かしい友と旧交を温める飲み会。年をとると時の流れが早くなるなんてことはそれほど感じない。1年を振り返って、「あっと言う間でしたね」と言われても、「そうかな・・・」っていう感じで、未だに子どものような時間を過ごしている私。それでも、「高校の3年間は密度の濃い時間やったなあ」という旧友のことばには完全に同意。それほど高校時代の3年間は特別なものだった。記憶の片隅に眠っていたいくつものエピソードがディテールまで蘇る。あの頃、友人の部屋で一緒に聴いたレコードや壁に貼ってあったポスターの絵柄まで、何故か鮮明に覚えている。それぞれに自分の置かれた場所で過ごしてきた時間の蓄積があっての再会なので、ただ懐かしむだけではない味わいもあって、実にいい時間だった。
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by lastsalt | 2015-12-31 14:14 | Comments(0)

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毎年この時期に、「いつ」「誰と」「何を」したのか、そのひとつひとつを思い起こして整理している。

今年もいろんなところに引っ張り出してもらって、まるで活動的な人に見えるほどあれこれ経験させてもらった。もちろん、それら強いられてではなく、自ら選んでさせてもらったことばかりだ。ありがたいことに、誰かに迷惑をかけたり、大恥をかいたりするような失敗はなかったが、たとえ何かがうまくいかなかったとしても、決して関わってくれた誰かのせいにはしない。責めはすべて私が負う。

必要以上に期待されても、無理してそれに応えようとは思わないし、見当違いの賞賛や批判を受けても、等しく聞き流そうと努めている。お金も名声もない私に近づいてくるからには、それなりの動機があってのことだが、彼らのことばの裏には、時にあまり巧みではない嘘が見え隠れする。でも、私はいちいち指摘はしない。勝つことにも誇ることにも興味はない。

私のこだわりなんて所詮私だけのものだし、誰にとってもさほど意味のないものに違いない。昔は「地球のどこかにそんな何かを共有できるまだ見ぬ友に会えるかも・・・」などという淡い期待もあったが、がっかりさせられることも多過ぎて、新しい出会いを積極的に求めなくなって久しい。わかる人にだけわかればいいし、わかって欲しいという甘えはそもそもない。邪魔さえされなければ、理解してもらう必要はない。

そんな「ひねくれた私」を純粋に面白がってくれる方々は、数少ないかけがえのない友となる。約束しなくても、そういう方々とは必ず「次回」がある。相手が、同業者であっても、お客さんであっても、生徒であっても、男女や年齢や社会的地位に関係なく、何の打算も無い、人として対等な関係の中でだけ、私は「本当の自分」でいられる。私の抜け殻に金箔を貼ろうが、つばを吐きかけようが、私とはほとんど関係のない出来事でしかない。

来年も今年以上に、できるだけ大きな気持ちでできるだけ小さなことに関わりたい。多くのことを求めず、サッとやってしまうことにさえ、時間をかけて丁寧に向きあえるようでありたい。

写真は、西山タカスケ画伯の招きでギターを弾きに行った地元榛原のMoonのママとのスリーショット。去年の秋にfufufuのライブに来てくれたタカスケさんを訪ねたのがちょうど1年後の今年の秋。公開製作中の彼の作品にむけての私のコメントの中に「大事な何か」を感じ取ってくれたタカスケさん。その場で「今夜どうですか?」というオファーだった。そんな勝手なふたりの約束を軽く受け入れてくれたMoonのママの度量もすごい。

大事なのは、お客さんの数やギャラの額ではない。聴きたい人に聴いて欲しい歌を届けることだ。
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by lastsalt | 2015-12-30 11:51 | Comments(0)

休むのが仕事?


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私の職場のボスは、「休むのが仕事です」「仕事だと思って休んでください」と、頻繁に声をかけてくれる。ありがたい言葉だし、やさしい心づかいにただただ感謝なのだが、ひねくれているSaltはちょっとここでつぶやいてみる。

「休むのが仕事」ってことは、実は「すべてが仕事」ってことになる。その意味は、「休みを仕事と見なしてもいいという考えの転換によって気兼ねなしにゆっくりして欲しい」ということなのだが、それでも「仕事中心」に休みを考えていることには違いない。職場の上司としては、極めて有効な声かけであることがわかるが、遊び中心のSaltにとっては、どこかしっくり来ない。

いわゆる「休みの日」にフル稼働して、「仕事の日」は3割くらいで巡航している私としては、そんな風に言われると、逆に申し訳ないような気になってくる。そんな私の性質を見抜いて、「出勤日はもっとしっかり仕事をしなさい」とおっしゃっているのかも知れない。

ボスのねらいどおり、2学期はちょっとだけがんばってしまった。通常の業務に加え、やらなくてもいい仕事も、あることはやむなく、またあることは進んでやらせてもらった。同僚が次々に体調を崩して、休んだり病院に通ったりする中、私はけっこう元気に過ごされてもらった。それでも、疲れは相当たまっていて、ここ数日、意識的に何もしないようにして、たっぷり寝ているだけで、心身ともに回復していくのがはっきりわかる。

猫たちの暮らしを見ていると、仕事と休みなどという区別はないが、自分のテリトリーの中で一番居心地のいい場所を陣取って脱力している。飼われている身分ながら、その制限の中では好きにふるまっている。そして、「そういうものだ」と飼い主にも納得させているのが凄い。
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by lastsalt | 2015-12-26 13:50 | Comments(0)

勝手に聖夜


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クリスマスはイエスの誕生日ではない。福音書の記述にあるベツレヘムの野の放牧の状況と中東の気象を考えると、12月ではあり得ない。ユダヤの祭りとの関連からも10月あたりではないかと考えられている。とは言え、別に聖書が日を指定していないのだから、それはさほど重要ではなないということ。だから、私もそれほど真剣に訂正はしない。

街はクリスマス一色。人々はいったい何を祝っているのか?いや別に何でもいいのだ。バカ騒ぎ出来る口実があれば・・・

イエスが命じられたのは誕生ではなく死を記念することである。「パンは引き裂かれる肉であり、血は葡萄酒だ」と語った。「それこそが、まことの食べ物であり、飲み物である」と。多くの人々は、「こんなひどい話は聴いていられないと言ってイエスを離れ去った」と書かれている。

そして、聖餐式をせよと命じられているのは、その意味を知り信じている者に対してである。信じていない者にとっては、ハロウィンだって、クリスマスだって、何だって同じだ。何をお祝いしているのかも、何を冒瀆しているのかもわかっていないのだから。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないでいるのですから」という十字架上のイエスの祈りが、クリスマスキャロルにかき消されるようなか細い声ではあるが、耳を澄ませば、今も街の片隅から聴こえてくる。それを聴く気がある人の耳には・・・

主賓不在のパーティーは、いろんな意味でいつまでも続きはしないだろう。
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by lastsalt | 2015-12-24 23:51 | Comments(0)

2015年のChapter29


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Chapter29の2015年のプログラムはすべて終了した。来年のことは何も決まっていない。同じようなかたちで継続するにしても、毎年そうしているようにいったんリセットしようと思う。新鮮な感動と喜びをもって再スタートがきれますように。

1月 結婚  2月 家族  3月 祝福   4月 子ども  5月 大人   6月 御国
7月 先生  8月 友   9月 忍耐  10月 平安  11月 収穫 12月 産む

こうして、1年間のテーマを振り返ってみると、今年の私たち自身の出来事とリンクしているのが集ってくださった一人ひとりの話からはっきりわかる。私たちは自分たちの生活とかけ離れた理屈を学んでいるのではなく、神のことばの真実が私たちの日々の営みの中に結実していくのを体験し、それを証しているのだ。毎月、奈良県のみならず、姫路や竜王から片道2時間も3時間もかけて集う意味や価値は、そこに居なければ味わうことができない。

神は一人ひとりの暮らしの細部に宿っている。みなさんの話を聴かせていただいてそう思う。

 
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by lastsalt | 2015-12-20 13:16 | Comments(4)

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父「12月はいつ帰ってくんの?」
娘「31日まで無理。途中で1回和歌山行くけど、奈良には寄らへん」
父「和歌山?何しに行くん?」
娘「みかんの収穫」
父「何でそんなに忙しいのに、愛媛から和歌山まで行くの?しかも、みかんって??」
娘「ええやん、別に」
父「そりゃ、別にええけど。みかんやったら地元にいっぱいあるやん。そんなに忙しいのにわざわざ愛媛から和歌山へみかんの収穫に行くって。愛媛から和歌山って・・・そのルートはちょっとアホやろ・・・」
娘「アホって言うたな。もうええわ。みかん送ったらへんからな!」

という会話を電話で交わしたのはつい1週間前。
本日ちゃんとみかんが送られて来た。
わざわざ愛媛から和歌山まで飛んで収穫した有田みかん。
農学部在籍の娘のお墨付きのみかんは本当に旨い。何だ、この甘さと爽やかさは。
さすがわが娘、ただのアホではなかった。
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by lastsalt | 2015-12-19 22:45 | Comments(2)

ご対面


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人間の目玉は人間の顔にはりついている。当然のことながら、自分の顔を自分の目で直接見ることはできない。自分の顔を見るには普通は鏡を使う。子どもだって、自分の顔は気になる。自分の顔があんまり好きじゃない子もいる。「この子はかわいい」「あの子は不細工」そんな言葉も当然囁かれる。誰かによって描かれた自分の顔を見るという経験は少ない。まして友達の顔と並べて自分の顔を見るという経験はこれからもあんまりないだろう。

集合写真の中で一番で自分を探しても、隣の顔はあまり気にならないものが、並べられた絵の中で誰がどんな風に描かれているかは、けっこう気になるようだ。「これ◯◯ちゃんやろ」「あれは◯◯くんや、めっちゃにてる〜」と子どもたちは大はしゃぎ。私は部屋の隅っこから、子どもたちの反応を見ている。これが実に面白い。

特徴をとらえすぎていて友達にからかわれたり、本人が自分の顔を見つけたときに表情が曇ったりしたものについては、すべて描き直した。頼まれもしないのに勝手に描いて貼り出しているのだから、それくらいはモデルに対しての最低の礼儀だと思っている。

客観的に不細工な顔はやはり存在する。美を追求する絵描きには、それが痛いほどわかってしまう。しかし、顔をいくつも描いていれば、すべての顔は美しいと感じられる。不細工な顔を醜くするのは、心まで不細工になって表情が曇るからだ。

この子たちはどの子もきらきらした表情で輝いている。醜い顔はひとつもない。絵は鏡じゃない。子どもたちの笑顔を見ると、絵から私のまなざしを感じてくれたのがわかる。
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by lastsalt | 2015-12-18 23:24 | Comments(0)

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一度も立ち上がったことのない足と
何も成し遂げたことのない手は
驚くほど小さく弱々しく
そして美しい

どこかへ行こととしてつまずき
何かをつかもうとして失いながら
その足は強くなり
その手は巧みになる

あなたもはじめは赤ん坊だったのに
どうしてそんなところへ行ってしまったのか
どしてそんなに手を汚してしまったのか

誇るたびにあなたは嘘を重ね
妬むたびにあなたは醜くなった

何も知らぬ気高さの中にこそ
全知を宿す種がある

何も出来ぬ無能の中にこそ
全能を引き出す鍵がある

あなたはそのことを知らなかったわけじゃない

どこへも辿りつかなくてもいいんだよ
何も持たなくてもいいんだよ
弱くてもいい
不器用でもいい
嘘つきにさえならなければ
明日は必ず今日よりいい日が来る
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by lastsalt | 2015-12-18 01:30 | Comments(0)