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土曜日のCASO


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花粉症+風邪で体調は思わしくなかったものの、写真展会場であるCASOへ。CASOは、Contemporary Art Space Osakaの略。今日は土曜日でお天気もよかったのでたくさんの方が来て下さった。展示販売でさえも自分のブースで留守番しているとすぐに飽きてしまう私なので、長時間いるともっと退屈するかなと思っていたが、会場でいろんな方と出会い、質問に応えたりするのは意外に楽しかった。この企画のおかげで久々にお目にかかかることが出来た方もいて感激した。

そんな中、主催者のSIGN氏は、早速来期の茶話会の募集をかけていた。今回の写真展の成功と課題を踏まえ、さらに先を見つめる眼差しが光っている。「ラッキーさんは今回で卒業」と聴かされて「何とか引き止めないと」と思った私は、すでに残って続ける前提でものを考えている。いかん、SIGN氏のペースに巻き込まれているぞ。
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by lastsalt | 2015-02-28 22:03 | Comments(0)

特命係


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理科主任と教務主任まで兼任させられているが、教務に関しては、私が断らないことを計算に入れて内諾なしでの無茶ぶりだったのを思い出す。まあいいや。

さらに校長の特命により、2学期から3年生の図工を担当していたがいよいよ終盤。作品をまとめて持ち帰らせる為のバッグに装飾した。

通年ではなく、中途半端な関わりではあったが、図工を教えるのは非常に楽しかった。残された教員生活は、図工・美術や音楽の専科がいいなとは思うが、そうもいかないだろう。

来年度のこともあれこれ相談しているが、さてどうなることやら。いよいよ3月。
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by lastsalt | 2015-02-27 21:51 | Comments(3)

搬入


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いよいよ明日から写真茶話会RR展。
当グループの仕掛人であるSIGN氏のごあいさつを転載。

写真茶話会とは、オーダーメイド家具SIGNで毎月一回行われている写真講座です。今回の写真展は、今年で7年目を迎える同講座での初めてのグループ展となります。
「写真の撮り方」や「楽しみ方」をこえた「写真表現」というものを知ってほしいという思いから始めた写真茶話会でした。
あまりにも日常的に用いられる写真であるからこそ、表現手段としての敷居の低さがあり、また数ある表現手段の中で、もっとも簡単に短時間で作品制作のほとんどを完了してしまう写真には、無意識に作者の内面が表出しやすいという性質もあります。
写真で作品を作ることによって自己表現と向き合い、今まで気付かなかった自分と出会い、今まで語り得なかった言葉を得て、自分にも伝えるべきものがあることに気付いた時、写真はその人にとって特別な手段となっていきます。
時代が変わり技術が進歩しても、そこで行われる作業は「記録」から逸れることがありません。作者の「眼」を通した「記録」を「情報」として読むことが写真を鑑賞する行為であり、それらを作者が意識することで伝える喜びが生まれます。それが写真表現です。
今回のRR展では「表現」という言葉を「人にはたらく」と言い換えて、写真の更なる可能性を探ってみました。それぞれの作品のタイトルには作者各々が観る人に、または被写体に対しての「はたらきかた」を表す一言が付けられています。
そしてこの写真展を主催した私にとって、RR展そのものが私の作品であったなら、そのタイトルは「励ます」です。

さあ、読み取ってみて下さい。見終わった後、言葉のない写真からたくさん話しかけられたように感じたなら、きっと伝わったのです。

写真茶話会主催者
湯浅則夫


私の届けるメッセージは「学ぶ」

ちょっと無理をして搬入にも関わることができた。ひとりひとりの作品が白い壁を彩り、それぞれが関係しあって空間を作り上げて行くのを見るのは楽しかった。ささやかな展示スペースではあるが、なかまとともに紡いだ思いがけっこうな密度で充満しているのを感じた。

「思っていた以上だ」とSIGN氏もにんまり。是非、会場に足を運んで欲しい。2月28日と3月1日の午後はSaltも在廊の予定。

海岸通ギャラリーCASO  大阪市港区海岸通2-7-23
地下鉄中央線「大阪港」駅徒歩7分 06-6576-3633
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by lastsalt | 2015-02-23 23:42 | Comments(0)

病を知る


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今日は2月22日。ニャンニャンニャンで猫の日なので、猫の話にするはずだったが、もうちょっと大事なことを書こう。

「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:3〜5)

これは預言者イザヤによるイエスが生まれる750年も前の預言で、イエスに関するものとされている。

人はなぜ病み、衰え、そして死ぬのか。万人を納得させる答えなどない。しかし、注目すべきは、キリストが「悲しみの人で病を知っていた」と預言されていること。私たちが味わう一切の理不尽に対して神が示された唯一の解答は十字架である。

イエスには特別な欠けやコンプレックスがあったわけではないし、人としての一般的な感情を私たちと同じ様に持っていたはずだが、「悲しみの人」と名付けられ、さらに大病を患って癒されることを願ったわけでもないのに、「病を知っていた」と書かれている。

イエスの生涯はまるで死ぬために備えられたものであり、いじめられでもするかのように人々に嘲笑され、弟子達にも逃げられ、十字架にかけられて絶命する。「神のひとり子である」と主張したにも関わらず、最期はその神を父と呼ぶことさえ許されず、人からも神からも見捨てられる。そんな無実のイエスの死が、全人類の罪を贖うのだと信じる人たちがいる。私もそのひとり。

イエスの主張どおり、彼が本当に神の子であるなら、人でありながら己を神とすることは冒瀆ではなく、事実を述べているにすぎない。彼が主張したとおり、本当に3日目に蘇ったのなら、すべての罪を負って死なれた贖いは信じる者たちにとって有効なものとなる。

この死とよみがえりに結びつけられた者にとっては、すべての病気などはものの数でなく、死さえもひとときの眠りに過ぎない。しかし、その癒しや力の現れは、「病を知る方を知ること」なしにはあり得ない。

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」(マタイ9:12)

体の病とは影であって、本質ではない。
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by lastsalt | 2015-02-22 22:40 | Comments(0)

スルーする?


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私は教員を生業として来たが、日教組にも全教にも加入していない。ずっと非組合員を通している。
実は、限られた一時期、小さな村の分会にだけ期限付きで属していたことがあるが、それは如何ともし難い村の事情で、それに「ノー」というのは、どう考えても自己満足以外のメリットがなかったのだ。約束の期限を終えて所属の分会からも脱会し、それ以来、組合活動とは明確に一線を引いてきた。2015年の現在では組織率はずいぶん低下しているとは言うものの、若い頃は「分会にも入らない」というのは、けっこう職場の和を乱す行為ではあった。そこまでして、私が非組合員を貫いてきた理由はいくつかある。

まず、第1に、私は子どもに関わる仕事を「聖職」であると思っているので、自らを「労働者」だと規定する人々と同じ列に並びたくない。教育は極めて創造的で知的な行為であり、単位時間あたりの労働力を切り売りする職種ではない。
第2に、労働条件の改善のために団結したければご自由にどうぞとは思うが、それに関係のない綺麗事を絡めてくるところに、人間としての誠実さを感じない。「賃上げ、労働時間短縮」のみの要求に徹すれば、私はそれに加わらずとも理解はできる。
第3に、幹部に利口さが感じられず、組織があまりにも幼稚で、まちがった信念さえもあまり感じられないこと。(特定の政党との関連や利害関係が存在することも事実)
第4に、歴史認識やジェンダーフリーの考え方などをはじめ、社会の諸事情に関する限られた情報を鵜呑みにして正義とする愚かさが耐え難いこと。

そもそもどんなよい考えであれ、私は他人に強要されることが大嫌いで、群れることが基本的に性に合わない。言うべきことがあれば、一人で百人分以上喋る。今までそうやってちゃんと「自分の分」は勝ち取ってきたので、組織の恩恵は不要。

そんな日教組嫌いの私でさえ、安倍首相の事実に基づいていない野次は簡単にスルーするわけにはいかない。何か口にするたびに自らの品性をまき散らしている総理ではあるが、御用メディアのとってつけたような内閣支持率を見れば、相当数の方がこの御方をリーダーとして認めておられるようで、それが現在の日本の姿なんだなと思う。実に憂うべき末期的状況である。個人として、自分の思いを少しでも書いておきたいと思った次第。仮にも一国の首相が、ある団体への嫌悪感をむき出しにして、全く事実ではないことを吐き捨てる様に言うとはいかがなものだろう?「国会での野次は議論の潤滑油だ」とスルーできるだろうか?

ちなみに私は「日教組嫌い」であって、「反日教組」ではない。日教組に所属する先生たちとも親しく仲良くさせてもらっている。自分の好き嫌いや信条さえも口にできないような職場なら、おかしな政党やテロ集団と同じではないか。
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by lastsalt | 2015-02-22 12:28 | Comments(0)

3月のChapter29(1次案内)


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と き  3月14日(土)
     10:30〜12:00 テーマ信仰放談 テーマ「祝福」
     12:00〜14:00 周辺のレストランで食事
     14:00〜17:00 フリーな交わり

ところ  室生振興センター 

「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」(Ⅰヨハネ1:3) 

親しいメンバーの結婚を2組も控えた3月。

放談および交わりのテーマは「祝福」とした。
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by lastsalt | 2015-02-20 21:06 | Comments(2)

悪魔のささやき


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和歌山の小5少年の惨殺事件についての私の記事を読まれたヒメさんが、参考になればと加賀乙彦の「悪魔のささやき」という本を貸してくださった。

不可解な出来事を悪魔のしわざにするなんて、何とも前時代的な印象を持たれるかも知れない。しかし、精神科医であり、拘置所で医務部技官として凶悪犯とも数多くの接見の経験を持つ加賀氏が、「悪魔のささやきを聴いたとしか思えない」という主旨で本を書かれているのは興味深い。

悪魔のささやきは外側からではなく内側から聴こえる。それは、個人のみならず、集団や民族にも働く。しかもその影響は一瞬ではなく持続することもある。場合によっては10年以上もとんでもない方向に走らせるエネルギーを持っている。日本の社会全体が「刑務所化」している。刑務所の囚人と比べればはるかに多くの自由を与えられているが、かといって日常を楽しんでいるとはとても言えない。「刑務所化」した社会では、刑務所で起こるのと同様の問題が発生する。「爆発反応」「関心の狭隘化」などの長期囚によく見られるような傾向が現れ、凶悪犯罪につながる。「他人指向型」の受動的生活をしていると、「個」が失われていく。悪魔はぼんやりした状態にある人間の心に入り込んでくるし、欲望にこそ取り付きやすい。悪魔につけ込まれないホンモノの知を育てる為には、視界を360度に広げ、より遠くを見はるかすことだ。以上、私が共感した内容をまとめてみた。

加賀氏はキリスト教ヒューマニズムの人なので、まだまだ楽観的だ。悪魔につけ込まれないホンモノの知というのは、実は存在しない。悪魔は信仰を持たないただの人にとっては神と見分けさえつかない。しかもこの地上において(一時的に)全権を委任されているのは悪魔であって、神は(人として地上におられたとき)、その権限にはご自身も服従されるという奇妙な方法をとられている。また、悪魔のささやきにそれとは知らずに流されたものとは別に、積極的に耳を傾け、意識的に礼拝したり、契約を結んだりしている者もいる。こういう人々が実は政治や経済を牛耳っているのである。

悪魔は自分の権限の終わりを悟って、ますます最期のあがきを見せるだろう。人は信仰と神のことばをもってしかこれに打ち勝つ方法はない。

Dr.Lukeの指摘により、誤解を避ける為に(   )のことばを補記する。
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by lastsalt | 2015-02-17 02:30 | Comments(8)

とり天&だんご汁


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大分県の郷土料理「とり天」と「だんご汁」の2つを味わえる定食です。
「とり天」は鶏のジューシーさはそのままに、からしとポン酢であっさりとお召し上がりください。「だんご汁」は小麦粉で練り上げた平たい麺(だんご)と豚肉や野菜などの具材を、風味豊かな味噌で仕立てたあたたかい汁物です。


義理の母の誕生日を祝って、妻と3人で夕食。
大分での交わりを思い出しつつ、おいしくいただいた。

写真と解説はやよい軒HPより
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by lastsalt | 2015-02-15 23:52 | Comments(0)

雪景色の室生から


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信仰放談のテーマは家族。窓から見える雪景色が美しい。

久々にりんごダディ&マミィも来て下さった。

午後からは長男のフィアンセを連れて登場してみなさんにご挨拶。

鈍い私はリアルにいろんなことを経験させてもらって、ようやく聖書のことばをささやかながらわかったような気になっている。

私が味わっていることは、まだまだ知らねばならないことのほんの一部だという気がする。それほど多くの時間が残されているわけでもない。受けたものをもっと流し出すことによって、さらに深い段階へと進めるのだとも思う。

次回のChaper29はホワイトデー。3月14日(土)の予定。
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by lastsalt | 2015-02-14 23:36 | Comments(4)

同性の合意


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東京都渋谷区は12日、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認め、証明書を発行する条例案を盛り込んだ2015年度予算案を発表した。条例案は3月上旬に開会予定の3月区議会に提出する。

区によると、自治体が同性同士をパートナーとして証明する制度は全国初。性的少数者(LGBT)の権利を保障する取り組みは、他の自治体にも影響を与えそうだ。

区議会で可決、成立すれば4月1日に施行する。証明書発行は、事務手続きなどを経て15年度内の開始を目指す。

条例案では、男女平等や多様性の尊重をうたった上で「パートナーシップ証明」を定めた条項を明記。区は同性カップルがアパートの入居や病院での面会を、家族ではないとして断られるケースを問題視し、区民や事業者に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求める方針だ。

憲法は婚姻を「両性の合意」のみに基づいて成立すると規定している。証明書に法律上の効力はなく、区は「全くの別制度と考えている」としている。〔共同〕


同性の同居人は、たとえ世帯主とどれだけ深い関係にあろうが、配偶者とも家族とも見なさないというのが日本の法律であった。しかし、ちょっと動きがあったようだ。やや、びっくり。日本もここまで来たか・・・・「欧米か!」とちょっと古びたツッコミを入れたくなる。

先月の信仰放談では、夏目漱石の「こころ」を同性愛的視点で読むなんてことも、ちょっとしたトピックとして語ってみたところだし、今月のテーマは「家族」である。どこまでの人間関係を家族と見なすかということも、今月はずっと考えていたので、興味深いニュースだった。

私の中では、法律や条例がどうであろうが、創造者の設計に基づくというルール以外はない。人権や自由の名のもとに、キリストと教会のモデルである「結婚」という摂理を曖昧にし、不道徳を寛容さで包み込む価値観に対して、私ははっきりNO!と唱えておきたい。

エルトン・ジョンの才能は認めるし、ジョディ・フォスターは美しいと思うが、同性愛や同性婚は違う。それを認めることは本当の寛容さではなく、権利を主張することは本当の自由ではない。世の中の流れが性的少数者への配慮に傾いているので、あえて書いてみた。もちろん、そういう人たちを嫌ったり、差別したりはしない。お好きにどうぞとは思うが、「それは違ってますよ」と宣言しているだけ。からだと心の不一致はいつも心優位に語られるが、からだが間違いなんじゃなく、「心が間違いなんですよ」というお話。
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by lastsalt | 2015-02-13 01:15 | Comments(0)