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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


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photizo


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Lukeさんに何かあったんだということは、ブログを通じて感じていた。「Lukeさんにはやがて何か来る」という予感が以前からあったので、私もそわそわしていたところ、「セレブレーションに来ませんか?」とお誘いもあり、写真茶話会の翌日から横浜行きを予定していた。

ところが、諸々の事情もあり、今回は我慢することにした。普段から特に連絡などとったりしないが、常に交わりを感じている。リアルに顔を合わせることは出来なくても、共有できることはたくさんある。御父ならびに御子イエス.キリストにある交わりは、時空を超越しているのだ。

Lukeさんの最新の記事に、エペソ1:17〜18の私訳があり、「理解の目に光を照射して焼き付けてくださる」というところのギリシャ語が、Photizo(ポティゾ)すなわち、感光と焼き付けを意味する写真の語源にもなっている言葉だとあった。なるほど。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに彼を知ることにおいて知恵と啓示との霊を与え、理解*1の目に光を照射して焼き付けて*2くださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの嗣業の栄光の豊かさがどれほどであるかを悟らせて*3くださるように。-Eph 1:17-18(私訳)
*1:Gk.dianoia=dia+nous;nousはmind(思い)、つまり思いを通して
*2:Gk.photizo、photoの語源:感光と焼き付け
*3:Gk.oida、主観的に把握すること・経験すること

「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって」(新改訳)

気になって調べてみると、詩編119編のことばの中にも、同じPhotizo(ポティゾ)が使われていた。

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」(詩編119:130)

みことばを「鍵」と言わず、「戸」にたとえている。戸が開いて差し込む光は、向こうからこちら側へのものである。つまりやがてやって来る来世への期待をぼんやり感じるものではない。向こうの部屋が輝いていて、こちらの部屋は真っ暗というのではない。ぼんやり薄明かりでもない。光源であるイエスご自身が戸をあけて、手前の部屋にお越しになるイメージなのだ。みことばそれ自体は、奥の部屋と手前の部屋、あちらとこちらを隔てる役割しかない。それが開かれたときに差し込む光の明るさ、あたたかさ、やさしさを味わい、暗闇での手さぐりではなく、その光によってはっきり世界を見ることが大事なのだ。

詩編119編のみことばは律法である。一方、パウロの言うのは福音であり、その光のすばらしさは律法の比ではない。「天の国は地に進攻している」という表現は大げさではないのだ。ただ、私たちがあまりにも鈍いために、それを味わえずにいるのだ。来年はもっともっと、この地にあって天の光を味わいたいものである。

そして、差し込む光の中で憩うイメージは、何と今回の私の写真作品とピッタリ同じ。まさに、わが主、わが神。みことばのイメージに比べると作品は、あまりにもささやかなものではあるが、私が感じたものはまさにそれである。
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by lastsalt | 2014-12-31 19:48 | Comments(0)

2014年を振り返って


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日ごとに、週ごとに、月ごとに、年ごとに、振り返り、リセットする。何をやっているのかわからないままにただ忙しいという状況には耐えられないので、絶えず意味を問う。やりたくなくてもやらなければならないことや、やりたくてもやめた方がいいこともある。「〜のせいでできなかった」とだけは言いたくない。

年を経るにつれ、ますます仕事が遊びに遊びが仕事に近づいてきた。それは悪いことというより、むしろ理想に近いが、けっこうバランス感覚や落としどころが難しかったりする。表現がひとりよがりのものでは、誰も喜ばせることができないので、何をするにつけ、自分のセンスやスキルが誰かの笑顔や安心につながるようにと心がけている。そこでやり過ぎにストップがかかっても、自分の感覚以上にくどくなっても、それは妥協ではない。相手意識が希薄になると仕事も遊びも中途半端になる。逆に相手意識がクリアになると、アイデアも力も湧いて来る。それが楽しい。


 1月 奈良ボッサ夜会①
 2月 丹波市幼稚園のための2曲完成 
    天理小学校との交流のための学級かるた2組作成
 3月 品川宿〜ちゅまわり君を訪ねて〜Lukeさん、ゆばるさんとともに
    3年生句集「晴れのち雨」作成
    大阪チャチャチャバンドのための楽曲作成
 4月 特別支援学級を担当
    交流学級3年1組の歌のワークショップで学級歌作曲
 5月 校舎耐震補強の為、春の運動会
    Lukeさんを迎えてemiさんとの約束を果たして、Chapter29のレギュ 
    ラーメンバーとともに山辺の道散策
 6月 奈良ムジーク 奈良ボッサ夜会②
 7月 千葉オフ会 磯あそび①
 8月 山辺の道「長岳寺」と岡山「アートアンドクラフツビレッジ」にて、    
    ケーナのSueちゃんと2回のライブ   
    迷い猫2匹を引き取る。磯遊び②
 9月 country café Herb Club 「秋の夜長にボッサノーヴァ①」
    栗の木の家 「室生里めぐりコンサート」
    2学期から3年生の図工を担当
10月 free space café fu fu fu 「秋の夜長にボッサノーヴァ②」
    曽爾オフ会
11月 「子どもフォーラム」のコーディネーターを務める
12月  図工研究授業「イメージを広げ、自由に描こう」
    2つの結婚式のために楽曲製作

スケジュールを調整しつつ、S&UとPruneのレコーディングをゆる〜く継続。S&Uのレパートリーとして、中島みゆきの「糸」やさだまさしの「秋桜」など、これまでちょっと避けてきたナンバーも加わった。回数は少なくなったが、ライブは毎回とても印象に残るものだった。まさに一期一会。

オリジナルも3曲増えた。「少女」と「いつもあいつは」は、ここ数年で出会った子どもたちをモチーフにしたもの。「みずいろのさかな」は、先日亡くなった詩人まど・みちおさんに捧げるためUribossaと共作。この3曲はニューアルバムに収録予定だ。

美術に関しては、2学期から図工を担当することになったので、子どもと楽しむ為のチャンネルが多くなった。感性が鈍らないように、近所のギャラリーはもちろん、滋賀や京都の美術館でいろんなものを観たり、現在も作家として活躍中の先輩方の個展にも顔を出させてもらったりしたが、自分の作品の制作はまるでなし。手遊びに夏に2回ほど芸大で裸婦を描いた程度。あとは教材にするために、妖怪ウオッチのキャラクターばかり描いていた。ところが、これがちょっとした発見があったり、現場でのストレスが軽減されたりして、全くクリエイティブではないが、意外にもそれほど嫌ではなかった。

写真茶話会RRへの参加も今年のスペシャルである。この年になってバイクに加え、カメラという遊び道具が増えたのは嬉しい。ラッキーさんのすすめで、カメラも新調し、SIGNさんからの辛口コメントと謎掛けのようなアドバイスに悩みつつ、どうにかこうにか出展できる作品を撮れた。新しいことへのチャレンジはいつも刺激的だ。この夏はJunpei君との磯遊びもさらに加熱。来シーズンも楽しみにしている。

恥や失敗もけっこうあるが、すべての出会いと関わりにただ感謝しかない。今年もすばらしい一年だった。

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2014年の信仰放談(全14回分)をDVDにまとめました。欲しい方はsalt@kcn.jpまでご連絡ください。
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by lastsalt | 2014-12-30 15:02 | Comments(0)

もはや子猫ではない


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2匹の子猫がやってきたことは、我が家にとっては今年の大きなニュースのひとつ。猫は家族の潤滑油どころではない。寝て食って寝て、そして遊ぶ。自分の都合のいいときに甘えて決して服従しない。まさに人生の師匠である。それにしても夏に来たばかりなのに、本当にでかくなった。もはや、子猫ではない。
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by lastsalt | 2014-12-29 23:54 | Comments(0)

これ、なあに?


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猫たちは好奇心がいっぱい。何かあるとすぐとんできて、自分で確かめにくる。

これは大事なことだ。何でも自分でしっかり観て聴いて嗅ぎ分けて触って確かめないと。無理して信じ続けることなんかできない。

猫には猫の認識能力の限界がある。「猫に小判」とはまさにそのこと。

人間にも認識能力の限界があり、また猫よりも個体差が大きい。

あるものを自分が無価値に感じたとしても、それが客観的に価値を失うわけでではない。小判を使えば猫が欲しかった餌をいくらでも買うことが出来る様に、「神の国とその義を第一にする」という正しい優先順位にしただけで2位以下のオーダーをいくらでも手に入れることもできる。
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by lastsalt | 2014-12-29 20:20 | Comments(0)

珈琲タイム


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私はそこそこキレイ好きだが、掃除や整理整頓はあまり得意ではない。でもやり出すと程よく切り上げることができず、かなりとことんやってしまうので、途中で息切れした場合は、他人が見ればいっそう散らかったようにしか見えないという状況になる。これだけは避けたい。

昨日は写真茶話会の帰りに収納ボックスを買っておいたので、朝から若干のやる気を出し衣類の整理。はじめから徹底的にやらず、取りあえず邪魔になるものだけを詰めるという程度の目標を立てたのが功を奏し、短時間でまずまずの成果。書斎の片付けに移る前にちょっと休憩するため、ギャラリー夢雲へ。

ギャラリー夢雲は、時間があれば必ずどのイベントにも顔を出すようにしている。バイクにまたがったとたん小雨が降って来たので、やめようかと思ったが、エイヤ〜っと行ってきた。今回はカフェ根っこさんが出店されていたので、美味しいオーガニック珈琲を飲みに行った。聴くところによると、震災を機に関東からこちらに移住されたのだそうだ。

本当は今日は早朝から横浜へ向かう予定だったが、こちらで先にやっておくべきことの優先順位が高まってきたので泣く泣くキャンセル。この3日間くらいはそれに力を注ぐことになる。こちらの内容についても、おいおいお知らせすることになると思う。・・・・って言ってる間に2014年が終わってしまう。何事も慌てず焦らず、手放し委ねることが鍵。珈琲を片手に、静かに一年を振り返る。
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by lastsalt | 2014-12-28 17:06 | Comments(0)

RR


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2月末の写真展にむけて、写真茶話会RRも大詰め。周回遅れでスタートした感のある私だったが、他のメンバーの真摯な取り組みに刺激されたり、SIGN氏の情け容赦のないダメ出しに凹んだりしながらも、ようやく選択肢のいくつかを用意することは出来た。今日もSIGN氏は長い沈黙の後のズシンと重いひとことで女子を泣かしていた。悪い男だ。しかし、SIGN氏の厳しさは、彼が本気である証拠。

素人であっても玄人であっても、「あえて表現すること」に必然性があるとすれば、誰かに何かを働きかけるものでなければ意味がない。何かの接点で、誰かと関わり、つながることは、それほど簡単なことではない。アマチュアの作品がプロに勝っているところがあるとすれば、商品ではないからこそ、表現に幅が出来、自由度は増すし、作品を作るにあたっての動機の純度は極限にまで高められるということ。SIGN氏は一貫してそのことを伝えている気がする。

RRというかたちで茶話会を再開したころ、SIGN氏は自分自身の中の大きな変化を捉えきれず、「ボクは何もかもリセットして、誰かを励ます仕事がしたい」と少年のようなことをしきりに言っていたが、私は「そんなものは松岡修造に任せておけばいいだろう」とどこかで思っていた。でも、自分の出展作品を選び終え、さらに意地悪な課題と向き合いながら、彼がこのRRでやりたかったものがようやくはっきり見えたような気がした。
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by lastsalt | 2014-12-27 23:47 | Comments(4)

シュークリーム


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待望のお休みに入ったが、いろいろやることがありすぎる。楽しいことが多いが、面倒くさいこともけっこうある。当たり前だが、やりたいことからやっていくと面倒くさいことが後に残る。残念ながら、嫌なことから先に片付けるほど賢くはない。

妻「今日は忙しいの?」
私「考えごとがあるから」
妻「考えごとねえ(笑)」
私「忙しくはないけど、考えごとしてるから暇じゃない」
妻「それって暇ってことやろ」
私「・・・・・」

(名張へ買い物に出たときの会話)
妻「今、シュークリーム売ってる店があったから、後で寄って」
私「わかった」
妻「あれ、何屋さんかな〜」
私「そりゃ、ケーキ屋かパン屋ちゃうの」
妻「おかしいな。あんなとこにあったかな?新しく出来たんかな」
私「少なくとも八百屋ではないな」

(帰り道)
妻「シュークリーム屋、寄ってや」
私「わかった」
妻「もうちょっと行っとこ、左」
私「あれ?ショールームって書いてあるで」
妻「・・・・・」
私「あれ、何屋さんかな〜という間抜けな質問は、あながち外れてなかったわけだ」
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by lastsalt | 2014-12-27 00:08 | Comments(0)

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今年も残すところあと1週間。毎月忙しい中集まってくれたメンバーと配信を応援したくださった方々に感謝しつつ、1年間のChapter29を振り返ってみる。毎回の信仰放談のテーマも、関わる誰かにとって実にタイムリーなものだったことが嬉しい。夏と秋の2回のオフ会も楽しかったなあ。

 1月 新しい
 2月 計画
 3月 選択(木工ワークショップ)
 4月 赦す
 5月 神の義 霊・魂・体(with Dr.Luke)
 6月 名前
 7月 交わり(千葉オフ会)「そこにいることの価値」
 8月 生きがい
 9月 捕囚
10月 永遠のいのち(曽爾オフ会)
11月 礼拝
12月 福音(オーケストラ鑑賞)

2015年の信仰放談のテーマ募集中。
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by lastsalt | 2014-12-25 23:45 | Comments(2)

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人がつながる「地域と共にある学校づくり」研修講座に参加するため、橿原考古学研究所へ出張。管理職や教育委員会の方が大半で、私にはちょっと場違いな感じだったが、内容はなかなか面白かった。

前半は、滋賀次世代文化芸術センターというNPOを立ち上げたおばさんの話。それぞれバラバラに活動している文化芸術施設を公私立関係なく、「ただ子どもたちにホンモノに触れさせたい」という動機で、現場と結びつけるコーディネートをしておられるということだ。

後半は、考古学研究所の学芸員の話とグループ討議。私も自分の地域との関わりを話さざるを得ず、ネタを探していると結構あった。アースデーのこと、ふるさと元気村のこと、幼稚園の曲作りのこと、市民大学の講師経験や、長岳寺での平和コンサートのこと、子どもフォーラムのこと等々。最初は特に何もないなあと思っていたが、意外に地域の為に貢献してるやんと自分でもびっくり。

とはいえ、私は現任校に先生ではない大人をいっぱい連れて来た。11年間で、のべ50人くらいだろうか。教員には独特の教員臭がある、そうした臭いのない安全な大人、しっかり生きてる面白い大人と出会うことは貴重な経験だと思うからだ。教え子の大学院生、ミュージシャン、植木屋、家具屋、弁護士、戦場カメラマン、盲導犬を連れた視覚障害者、朗読劇団など。子どもたちの驚く顔、喜ぶ顔が見たかった。それだけ。

でも、私がひとりで勝手にやってることを大めに見てもらっただけで、「学校づくり」ではないなあ。組織が絡むといちいち面倒くさいのだ。

おそらく今日の参加者の中にもやる気のある方はたくさんおられたと思うが、私以上にしがらみが大変そうなエラい人ばっかりだった。私にはNPOを立ち上げて旗を振る暇も元気もないので、取りあえず辞めるその日まで、何があっても取りあえず一教師でいようと決意を新たにした。
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by lastsalt | 2014-12-24 18:25 | Comments(0)

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キリスト教をローマの国教として定めたのは、コンスタンチン大帝である。その際、ローマの教会は太陽神の誕生日と見なされた12月25日をイエスの誕生日として宣言した。その日は、ローマ人ではグレゴリオ暦が使用される前は冬至であり太陽神の誕生また蘇生を記念する日であった。この日をローマの教会がイエスの誕生日にすり替えたのである。Christmasは、初めからJesus抜き。花婿のいない披露宴のようなもの。X‘masのMr.Xの正体はバベルの塔を建設したニムロデ(創世記10:8)だとされる。

実はあらゆる偶像礼拝の原型は古代バビロン(バベル)にある。二ムロデの死後、妻のセミラミスは、夫を太陽神バアルとして祭り上げ、自らを月神イシュタールとして神格化する。これが死者および自然崇拝のルーツ。さらに姦通によって身ごもった息子を超自然的に受胎した救い主であるとする。これは明らかにマリアの模倣であるが、そのままカトリックの聖母崇拝につながってゆく。生まれた約束の子はタンムズと名付けられ、「ニムロデの生まれ変わりである」と宣言する。これが仏教の輪廻思想のルーツ。女王セミラミスは、救い主であるタンムズの母であり、同時に妻という母子相姦関係を持ち、創造主の定めた結婚の奥義を破壊する。これが、巫女や神殿男娼などの性的祭儀のルーツ。

ついでに復活祭と呼ばれるイースターの話もしておこう。Easter(イースター)という言葉は、セミラミスのもう一つの名前であるIshtar(イッシュタール)に起源したものである。万物が蘇生する春分が過ぎると、満月が浮かび上がってユーフラテス川を照らす。その時月の形をした卵が空から降りてきて、ここでセミラミスが誕生するということだ。なので、イースターエッッグをつくってお祝いする。彩色されたイースターエッグと共に、チョコレートで作られたウサギをカゴに入れてプレゼントする風習もある。春になると交尾を始めるウサギは豊かさと多産を表す。いわばsexの象徴だ。これが、イースターバニー( Easter's bunny )だ。タンムズ礼拝が紀元前から忌むべきものであったことは、エゼキエル書にも記述がある。(エゼキエル8:14)

どれもこれも実にくだらない起源であるが、こういうものが世界中に広がっているのである。かくして、世俗の教会やキリスト教文化圏の影響のあるところでは、知ってか知らずか、この二ムロデとその妻子を拝むことになる。

「これが正当、そっちは異端」などというのは、あんまり好きではないが、これだけまがい物が出回っているのは、どこかに価値あるホンモノがあることを示唆してはいないか?贋のルイ・ヴィトンはあっても贋のスーパーレジ袋はない。世界中で最も誤解され貶められたイエスの御名こそ、天が認めた唯一のブランドである。
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by lastsalt | 2014-12-24 17:47 | Comments(0)