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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


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かけ足大会


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かけ足大会があった。

あえてこのクソ寒い時期に「耐寒」を掲げてやっている学校は少ないが、私の学校はちょっと変わっている。案の定、3年生の1クラスはインフルエンザで学級閉鎖になった。

毎年同じメンバーで長距離を走るとなると、事前にある程度の順位予想が出来るが、今年はこれまでにない変動があった。小柄な女の子が、これまでどうしてもかなわなかったトップグループの男子をおさえて優勝。しかも、2位以下の男子を大きく引き離してのゴールインしたのだ。

どの子も頑張りすぎて、くずれるようにゴールすると、後から来る子たちを応援する余裕を失っていた。それでも、最終ランナーがゴールインする頃には、ようやく全員が出迎えに整列。何人かが迎えに行って伴走してくれた。

その子は朝から体調が悪かったので「たぶんリタイヤかな」と思っていたが、遅れても最後まで完走できたのはすばらしかった。

上位を競う子たちのモチベーションが高いのは、ある意味当然かも知れない。でも、最初からあまりよくない結果が見えていながら、それでもゴールを目指してひたむきにがんばる姿には心を打たれる。

一歩でも前に踏み出せば、ゴールはその一歩分、自分に近づいて来る。

そして、自分が走るのと同じように、頑張っている友達を見守り、しっかり声援を送れる子に育って欲しい。
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by lastsalt | 2013-01-31 00:33 | Comments(3)

力のモーメント


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てこの規則性を学び、力のモーメントの基本的な理屈を理解するために、てんびんの両腕に分銅をぶらさげて実験をしてみた。

てんびんがつりあうには、両方の腕に同じ重さがかからないといけない。

ずっと昔、私が教会で聖書の話を聴いたとき、壇上から語られるその「愛」とか「贖い」とかいう言葉の分銅の重さと、それを説明しようとする話し手のことばの軽さに、強烈な違和感を感じた。話し手は自分が何を話しているのかほとんどわかっちゃいない。釣り合いのとれないそのメッセージは、支点を中心に腕が空回りしているてんびんの図を私の脳裏に焼き付けた。

「こんな話は聴いていられない」

「それなら、お前はどう語る?」と己に問いかけた。

「私について何か話してみよ」と語られた気がした。

何度も機会を与えられたが、ついに私には出来なかった。

「聖書のことばと釣り合いのとれる実質を保つことなど出来ようか?」

これが私の抱えこんだ唯一の問題であった。当時の私は憐れで滑稽に思えたその群れを離れ、私自身がさらに憐れで滑稽な者となった。

そして、放蕩の末に私が見出した答えは、この力のモーメントに人は全く関与出来ないということだった。てんびんの左腕には神であるキリスト、右腕には人であるイエス。これで初めてバランスがとれる。私が語るに値するような何者かになれずとも、この状態を伝えることなら出来ると思った。

人であるイエスに共感するが、イエスの神性を認めない。こういう輩は多い。カトリック作家なんかはこういう視点(支点)で話をつくる。実にくだらない。全くわかっちゃいない。イエスがもしただの人であるなら、彼は狂人だ。私は狂った者は信じない。

イエスは神の使いだが、完全な人ではない。こういう教えもある。もし、イエスが人と同じにならなかったなら、贖いの効力はなく、神に御利益を求めるケチな下心は生まれても、イエスを愛する気持ちなどこれっぽっちも出て来ない。

私は神がただの絶対者であるなら、たとえこの身を焼かれても、これにまんまと服する気などない。それほど神が造ったこの世界は私にとっては不愉快で腹立たしいからだ。

神が人になってその理不尽をすべて引き受け、十字架の痛みをもって贖うからこそ、ここに信じる根拠は生まれ、初めてバランスが保たれる。創造の前に贖いの計画がある。復活もある。

私は神話を嫌悪し、宗教を嘲弄する。しかし、人となられた神イエスの事実は、歴史であり、科学なのだと思っている。
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by lastsalt | 2013-01-26 11:47 | Comments(2)

タケウマウケタ


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数日前まで、ほとんど竹馬に乗れなかったふたり。何度か一緒に遊んだが、その時はまだ私の方が断然うまくて、「すげえ~」と多少の尊敬を受けていた。

「うまくなったから見に来てくれ」とせがむので、半信半疑で見に行ったが、今は築山にもスイスイのぼっている。本当に大したものだ。

子どもの成長はすごい。彼らの持っている可能性は大したものだと思う。

授業中もそれくらい集中しろよ。・・・なんて野暮なことは言うまい。
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by lastsalt | 2013-01-24 21:41 | Comments(4)

2月のChapter29


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いつも広報が遅いので、今年は早めのご連絡を心がけます。

と き 2月23日(土)Pm2:00~

ところ 室生振興センター・会議室
(近鉄室生口大野駅前スグです。宇陀市役所分庁舎の横の建物です。場所がわからない時はご連絡ください。)

Am10:30~ Saltと銀じ郎の信仰放談「奉仕」も公開します。
ご希望の方は自由にご参加ください。

又、信仰放談のテーマを募集しています。
信仰放談の配信希望や、出張メッセージのご要望があれば、気軽にお知らせください。
ご連絡は、@kcn.jp まで。 (@の前にsaltをつけてください)

室生振興センター
TEL 0745-92-2496
宇陀市室生大野1637番地
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by lastsalt | 2013-01-24 01:44 | Comments(0)

選び


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「私たちはアブラハムの子孫であって、決して誰の奴隷になったこともありません。あなたはどうして『あなたがたは自由になる。』と言われるのですか」(ヨハネ8:33)

ユダヤ人は誤った選民意識によって自分を不自由にし、その不自由さの現実を認めようとしなかった。それはまさにクリスチャンならぬクルシチャン(キリスト教徒)の心理状態である。

「選び」に不公平感を持つのは、それが優越感であれ、劣等感であれ、主がどのような方であるかを知らぬ証拠である。

「神はすべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じこめられたからです。」(ローマ11:32)

人の時空で永遠を理解することは不可能だから、選びについて教理的に理解することは難しい。ただ言えることは、「いのちの書に名のしるされていない者」というのは、初めから救われる者と救われない者が決まっているという意味ではない。いのちの書にはすべての人の名か記されているが、救いを拒んだ時点でその名は消えてしまうのだと考えた方が、主の御人格にはふさわしい。

選ばれるのは、救われる側の何かの資質や条件によるのではない。神の御前における無に等しい状態や渇きや不義や不従順を受け入れ、信仰による招きに応じたか否かに尽きる。

生まれながらのアブラハムの子孫はいない。元々アブラハムは素材としては石ころ以下である。(マタイ3:9)アブラハム自身が「私はちりや灰にすぎない」と言っているのは実に正しい。(創世記18:27)アブラハムの信仰を受け継ぐ者がアブラハムの子孫であって、結果として、選ばれし者となる。

マタイ22:1~14にある披露宴の二重の招待が、選びの本質を語っている。

「招待される者は多いが選ばれる者は少ないのです」(マタイ22:14)
ユダヤ人にも異邦人にも、すべての者に招待状は出される。しかし、その招待を受け入れない者は、結果として選ばれないのである。

さらに詳しい解説は、音声配信をどうぞ。
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by lastsalt | 2013-01-19 22:42 | Comments(8)

アートは後回し


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図工の時間に鳥獣戯画の模写をした。なかなか面白かった。素材がすばらしいので、子どもたちも集中していた。それにしても鳥羽僧正はあっぱれだ!欧米列強のケツを追い始めて本当に日本はダメになったと思うが、漫画やアニメは他国の追従を許さないレベルを保っている。

学校ではアートの時間はどんどん縮小され、後回しになっている。文科省の歌心も絵心もないアホ役人が指導要領を決めるためだ。まあ、それでも様々な制限の中でいろいろ楽しむことは出来る。現場には「これでもか」「これでもか」というくだらない圧力がかかる。よほど現場の教師は馬鹿だと思われているのだろう。

人間ふたり以上いれば、「いじめ」はあって当たり前。隠しても、ごまかしても、調べても、相談にのっても、人の本質など簡単に変わるものか!

私は体罰に関しても単純に反対の立場ではない。問題になっているのは体罰ではなく暴力だ。罪があるから罰があるのだから「その罰が罪に対して適当だったかどうか」が問題にされるべきだ。そもそもそれは罪だったのか、教育的にその罰は必要だったのか。子どもに手をかけて叱れる熱も愛情も専門性もないことこそが、体罰以前の大問題だ。

音楽であれ、美術であれ、ことばによる表現であれ、写真であれ、映像であれ、ダンスであれ、演劇であれ、アートのチャンネルでアウトプットできる人間は、いじめに関するストレスも昇華できるだろうし、暴力という低俗な手段を使わずに自分の思いを表現できるだろう。人をいじめいじめられる関係や殴り殴られる関係から解放するのがホンモノのアートだと私は思う。

アートの力は小さくない。子どもの創造性を軽んじてはいけない。美しいものを追い求めるとき、人は一番純粋になれるのだ。良いものに浸って心から楽しいとき、些細なことなど気にならない。大騒ぎする者ほど、その問題の本質が何ひとつ見えていないし、本気でそれを解決する気さえない。しけたツラして相談したり、ただウジウジしたりしてることが好きなのかと思うほどだ。

来週の図工では、鳥獣戯画をモチーフにオリジナル作品を作ってみようと思う。
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by lastsalt | 2013-01-16 23:30 | Comments(0)

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「学校への恩返しプロジェクト」と題して、全校のトイレ掃除を2時間かけて行った。This is Salt流の道徳。

最初に子どもたちに投げかけた時にはブーイング覚悟だったが、逆に子どもたちは「やるなら徹底的やろうや!」と切り返してきた。勿論、水はとっても冷たかったが、制限時間いっぱいみんなよくがんばった。普段はそんなに真面目な掃除態度ではない子がほとんどだが、ちょっと動機付けが出来ればこんなに見違えるよう働いてくれるから不思議だ。

小さなきっかけで、ものすごく良くなったりダメになったりするのが子ども。いや、大人もそうか・・・

「トイレを磨いて心を磨け!」なんてことはそれほど思ってはいないが、からだを動かしてわかりやすいことをしないと人間はどんどんダメになる気がする。

冬は寒くて、トイレは臭くて、水は冷たくて、掃除は面倒くさい。でも、くだらないことでも真剣にやると意外に気持ちいいものだ。この気持ちよさと意外さを味わってもらいたい。

きれいごとなら馬鹿でも簡単に言える。きれいにするには賢くても汚いところに手を突っ込まないと出来ない。そんなことはわかりきったことだ。ところが、残念ながら学校で教えるのは「きれいごとを言えるようになること」だったりするから困ったものだ。

掃除を終えて教室にもどってから、子どもたちに「今日、トイレ掃除をやって良かった~って思う人?」とたずねると、全員がしっかり手を挙げてくれた。

それぞれに何かを感じてくれたのだ。・・・て言うか、みんな手を抜かずに頑張ったってことだ。
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by lastsalt | 2013-01-16 00:36 | Comments(4)

成人式


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かつて妻が着た振り袖を今日は娘が着た。着物を仕立て直したり、写真の前撮りをしたりと、妻もあれこれ気を揉んで、娘の成長を楽しんでいた。

成人式の会場までの送迎くらいは私も担当するつもりだったが、雪の為いったん家には戻らず、はからずも、そのまま式を参観して待つことになった。

色とりどりの振り袖を着た女の子たちは、それなりにみな綺麗に見えるが、スーツを着た男の子たちは、売れないお笑い芸人のように、さっぱり冴えない印象を受ける。着物という文化は実に素晴らしい。女の子は華やかだ。娘がいてくれてよかった。心配ごとも多いが、楽しみはその何倍もあるから。

娘は久々に再会した同級生たちと談笑して写真を撮り合って戯れていた。そんな様子を見ると、同郷のなかまたちともいい時間を過ごして来たんだなとわかる。

小・中のなかまとの交流もそこそこに、今度は高校の友達と会うと言っては大阪まで出かけて行き、夕方帰ってきたかと思うと、休む間もなく再び小・中のなかまと合流するため、反対方向の電車に乗って出かけて行った。

それにしても、ずっと記憶に残るであろう大雪の成人式になった。
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by lastsalt | 2013-01-14 21:34 | Comments(6)

1月のChapter29


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いよいよ今週末は、2013年になってからの初めての集まり。

2012の暮れに、「さて、来年はどうしようか・・・」と考えた。神の働きは、単純に「去年の続き」というようなものではない。

突然、止むかもしれず、違った展開に導かれることもあるだろう。今年は放談のテーマも参加者やリスナーの方々からも募集することにした。希望があれば、是非お知らせいただきたい。去年は別府、札幌、北見、そして戸隠からの出張発信もあったが、今年はさらに面白いことがおこるに違いない。

銀じ郎さんには、「嫌になったらいつやめてもいいよ」と声をかけたが、「続けます」と快い返事をもらい、私としては気持ちよく2年目を迎えること出来ている。テーマが大きいので、いつも中途半端にしか語れていないのはよくわかっているが、一応まじめに準備はさせてもらっている。ことばでの打ち合わせは、ほぼ無いに等しいが、主のお取り扱いはよくわかる。自分たちの現状と身の丈に合うことを誠実に伝えていくしかないと思っている。

献金や継続参加や奉仕の強要など、いわゆる一般の教会にありそうなことは一切ないので、初めての方も安心してのぞき見に来られたし。

と き 1月19日(土)Pm2:00~

ところ 室生振興センター・会議室
(駅前スグです。市役所分庁舎の横の建物です。場所がわからない時はご連絡ください。)

Am10:30~ Saltと銀じ郎の信仰放談「選び」も公開します。
ご希望の方は自由にご参加ください。

室生振興センター
TEL 0745-92-2496
宇陀市室生大野1637番地
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by lastsalt | 2013-01-13 23:54 | Comments(2)

竹馬の友


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「竹馬の友」ということばもあるが、子どもはやっぱり竹馬にのって遊んだ方がいい。
「ゲームの友」の間に固い絆が生まれるだろうか。
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by lastsalt | 2013-01-12 01:49 | Comments(2)