seasoned with salt lastsalt.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


by lastsalt
プロフィールを見る
画像一覧

<   2012年 01月 ( 10 )   > この月の画像一覧


眼差し


a0208786_19572434.jpg
次回の銀じ郎さんとの放談のテーマは「眼差し」と決めている。私なりにかなり考え尽くしたテーマではあるが、さらに新たなイマジネーションを得るためサルトルの有名な戯曲「出口なし」(Huis Clos)を読んでみた。内容をかいつまんで知ってはいても、きちんと読んだことのある人は少ないだろう。

無神論者であるサルトルが描く地獄は実に興味深い。初演は1944年ドイツ占領下のパリ。当時の閉塞状況を地獄の一部屋に設定したとの解釈もあるが、そんなに軽い作品でもない。サルトルの描く地獄は、おそらくキリスト教徒の思い描いているであろう地獄より、遥かに地獄的である。

登場人物は、案内役のボーイを除けばたった3人。男1人と女2人が窓もなく鏡もない部屋に居合わせ、永遠に同じ部屋にたった3人で居続ける。接点のない3人がそれぞれに生前の身の上話を始め、自分を責め、又、お互いの眼差しでお互いを苦しめ合う。責め道具も何もないこの部屋では、他者の厳しい視線が火矢のごとく急所を刺す。苦しみを逃れるべく、片目を閉じあって寄り添おうとする2人を、もうひとりの覚醒した眼差しがぶち壊す。世界を語るには3人で十分なのだ。

これが劇中で最も鍵になるセリフだ。
「僕を食い尽くすみんなの視線・・・・ふん、2人きりか。もっとたくさんだと思っていた。じゃ、これが地獄なのか。こうだとは思わなかった。・・・・2人とも覚えているだろう。硫黄のにおい、火あぶり台、・・・・とんだお笑い草だ。焼き網なんかいるものか。地獄とは他人のことだ。」

実に面白い。そして、それなりに非常に深い。不勉強な牧師のメッセージより遥かに神について、罪について、贖いについて考えさせられる。

サルトルは思想的に神を追い出してしまうが、彼が育った家庭はドイツ系のピューリタンの流れを汲んでいる。母方の従兄弟にはかのシュバイツアー博士もいるので、もしかしたら、ドグマだけでなく信仰的に確かな人が身近にいたかも知れない。良心の呵責に耐えかねつつも、強引に笑い飛ばし、突き抜けようとする勢いが凄まじい。

そう言えば、最近芥川賞をもらった某氏は、世の中で汗水垂らして働いたことがないそうだが、「都政の混乱を避けるため、もらって当然の賞をもらってやる」と息巻いていた。「まあ、可愛い人だな」と思ったが、頭の中は幼稚園だ。比較するのも馬鹿らしいが、ノーベル賞を拒絶したサルトルの反骨とはレベルが違う。

翻って、キリスト教の世界でも、世の中でまともに働いたこともない人が福音を伝える場合も少なからずあろうが、こういう連中はサルトルの戯曲の作中人物にセリフ三つぐらいで言い負かされそうで何とも憐れだ。

蛇足ながら、誤解を避けるために書き添えておくが、私はサルトルの思想的結論には一切共鳴するところはない。

私はいわゆるキリスト教徒ではないが、いたってシンプルなキリスト者である。

キリストは私に組み込まれているので、いや、私がキリストに組み込まれているので、「教」とか「論」とは一切関係ない。

神の眼差しに怯えずにすむのはキリストの贖いの故。神のあたたかい眼差しに安堵して過ごせる幸いを思う。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-30 20:01 | Comments(6)

37.7℃


a0208786_1218146.jpg


3日間、37.7℃という熱が続いた。立っているのがやっとだったが、仕事に穴をあけるわけにもいかず、時間割通りに授業もこなし、騙し騙し週末を迎える。木曜日は一番キツかったので、子どもが帰った後、早めに学校を出た。それにしても雪の舞う中でのサッカーはほとんど行の世界。「私がいなけりゃ」などと自惚れているわけじゃないが、簡単に代役に入ってもらえるほど、学校には人材に余裕もなく、フォローしてもらったフォローをするのがさらに大変なのだ。

たった1℃体温が上がっただけで、どうしてこんなにしんどいのだろう。不覚にも1月2度目の体調不良。基本元気が当たり前のSaltだけに、3年に1度くらいの失態がたった1月の間に集中したことは精神的にもダメージが大きく、かなり萎えた状態で、仕事に出かける以外はギターも触らず、聖書もPCも開けず、ほとんどまともに食事もとらずにひたすら寝ていた。

ようやく今朝平熱に戻った。「普通」ってありがたいなあ。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-28 12:22 | Comments(4)

a0208786_2153061.jpg


人は自分のやっていることは特別に値打ちがあると考えたり、自分の仕事は特にしんどいと思ったりしがちである。そして、うまくいかないときには自分以外の誰かのせいにし、何か出来ないことがあればそれが出来ない理由を饒舌に語り始める。

愚痴が多い人と話しても何も生み出せない。「忙しい」が口癖の人は「自分は処理能力が低い」ということを宣伝しているだけ。暇そうな人にものを頼んでもろくな結果は得られない。何かに挑戦する前にしくじった時の言い訳を考えるべきではない。

人は程度の差こそあれ、誰もが自意識過剰で自己憐憫が激しい自己中心な性質を持ち合わせている。「信仰」とは、そんな自分と自分を取り巻く世界をことごとく「神中心」に転換すること。言い換えれば、神を「絶対」とすることが「相対」の前提となる。

信仰の外の世界でも、「大人である」というのは、「物事を相対化できる能力」のことを言う。自分が力を注いでいること、ものすごく気になっていることも、ちょっと視点を変え、視界を広げてみれば、全く違ったものに見えてくるだろう。本当の謙虚さは、かえって人を大胆にする。

聖書を学ばねばならない。正しく理解しなければならない。そして信じて体現しなければならない。この不確かな時代に確かに信頼に足るものは神のことば以外にはない。

神のことばであるイエスをわからずに、神のことばである聖書は読めない。単に「どのことばも絶対」とするだけでは、瑣末な描写や表現の矛盾が全体を見失わせる結果につながる。聖書の各節の部分的な意味の相違や対立は、イエスの人格の中で調和して理解しなければ異なるメッセージを読み取ってしまうことになる。よみがえられたイエスと個人的に出会うことが聖書の理解にはどうしても欠かせないのだ。この世に相対化された神の子であるイエスだけが、天に秘められた絶対の父の計画と想いを解き明かすからだ。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-24 22:14 | Comments(4)

Chapter29


a0208786_22303810.jpg

お知らせです。

室生「ぬく森の郷」にてChapter29という集まりをスタートします。

私の個人的な好みと、部屋を借りやすいようにということから、宗教臭いイメージを避けてChapter29という名前にしました。

Chapter29は、カナンキリスト教会の働きの延長でもあり、新しいステージでもあります。Saltの個人的なミニストリーという以上の位置づけで考えていますが、一切「かたち」にこだわる気はありません。この集まりを始めるにあたっての動機や状況はすべて主が導いてくださったことだからです。

初めから集まりを「大きくしよう」という目標はありません。集まりは、あくまで健全に聖書を学びたい人たちだけのものであり、キリストにある同じ資格で自由に参加出来ます。役職もメンバーシップも設けません。主がその都度、柔軟に導いてくださるだろうと信じています。

察しの良い方はピンと来ておられると思いますが、Chapter29とは、現在継続更新中の「使徒の働き」の意味です。新約聖書の5番目の書である「使徒の働き」は28章で終わりますが、非常に唐突に終わる印象を受けます。なぜなら、その続きである長い29章が継続しているからです。

キリスト教の歴史は29章とは成り得ないでしょう。それは人の働きであって聖霊の働きではないからです。しかし、いつの時代にも、歴史の影で、この世で名を残さずともキリストの証を守り続けた先達がいます。

私たちの時代を生きるクリスチャンも、最後のコーナーでバトンを受け継いだランナーとして、この福音をいい加減に扱うわけにはいきません。状況がどうなろうと黙することは出来ません。聴く人がどれだけいるか、どれだけ喜ばれるかではなく、それが神のことばであるが故にそのままを明らかにする必要があります。一切の混ぜものを排して、健全な教えを健全に伝えることの必要を強く感じます。

何を信じればいいのかわからない混迷の時代に、確かな人生の指針であり、私たちを癒やし生かす永遠のいのちのことばである聖書そのものをリアルに学ぶ集まり、それがChapter29です。信仰のない方も、聖書に興味があれば是非参加してみてください。

原則として室生を中心にだいたい月一回程度のペースでやろうと思っていますが、予定はあくまで未定です。主のみこころならその次があります。次回の開催日は、その前の会に集まった人たちの都合で決定します。

自動車で来られる方は、室生ダムを目指して来てください。名阪針ICから約15分です。R169を走っていると近鉄の線路の南側にクリーンセンターの煙突が見えますので、その横を抜けて奥へ進むと「室生ぬく森の郷」です。

室生は三重県境の山間部ですが、実は最寄りの駅室生口大野は上本町や鶴橋からだと急行で1本、約1時間で来ることが出来ます。遠い印象の割には意外にアクセスが良いので電車で来るのも悪くないと思いますよ。

2時スタートの予定なので、室生口大野1時38分着の電車に乗っていただければ、車でお迎えに行きます。毎回、Salt‐Taxiが出ます。聖書の学びを終えて、ひと風呂浴びて帰るというのも悪くないでしょう。

Chapter29


第1回 2/25(土)pm 2:00~



場 所 室生ぬく森の郷



a0208786_2245385.png

[PR]
by lastsalt | 2012-01-19 22:30 | Comments(6)

レポート


a0208786_22342188.jpg


市の人権研究会の大会があり、学校を代表して「子どもたちが創る組体操」という集団づくりの報告をする。かつて事務局長を務め企画や準備などの裏方に徹して働いた集まりで、一報告者として参加するのは何だか妙な気分だった。高学年部で一回、校内研修で一回、そして今日・・・・と、三回も同じ原稿で喋らされた。もう十分。取りあえず、これでまず一仕事終えた。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-18 22:45 | Comments(0)

嘔吐


a0208786_1381377.jpg

息子が図書館へ行くというので、サルトルの「嘔吐」を借りてきてもらった。これだけ吐いたので急に読みたくなったのだ。喉元過ぎれば苦痛など忘れてしまうが、今しばらくであれば「むかつき」「吐き気」はリアリティーがある。読めばそれこそ吐き気を催すような内容であることは十分承知の上だが、そっちの方の胃はいつでも丈夫なSaltである。信仰の心配な人はサルトルなんぞ読まない方がいい。

原題のla nauseeは、「嘔吐」というより、「むかつき」または「吐き気」を意味する。「嘔吐」の瞬間だけでなく、その前後も様々なレベルでの「吐き気」や「むかつき」は続いている。サルトルのいう「吐き気」は一時的な具合の悪さや単なる世界に対する違和感というレベルでもなく、もっと本質的なものだ。

「私に生きる権利はなかったのだ。私は偶然この世に現われて、石のように、植物のように、微生物のように存在していた。私の人生は行き当たりばったりに、あらゆる方向に向かって伸びた。それは私にときおり曖昧な合図を送ったが、他の場合は意味のないぶんぶんいう音にしか聞こえなかった」(白井浩司訳、P138 人文書院)

たまたまそこに、意味も理由もなく、私が存在し、そんな私の周りに個別に剥き出しのモノが存在することに対するいい知れぬ恐れや不安が、「吐き気」や「むかつき」となって現れる。主人公は、カフェで、公園で、あらゆる日常の当たり前の光景に突然「吐き気」を覚える。

「嘔吐」というのは、まさに人生から必然と意味をそぎ落とし、世界から神を追い出した結果なのだ。

神の主権を否定し神の存在を無視し続けるとき、その恩寵にあずかり続けることは略奪行為であり、不謹慎な所業である。良心の呵責は、それを麻痺させるか、さらに研ぎ澄まされておかしくなるかしかない。

今回の再読で発見したのは、吐き気が音楽によって癒されるというシーンである。音楽は癒すのだ。しかも、そこに出てくるのは実在する曲でYouTubeも発見出来た。



Some of these days You'll miss me honey.(このテイクでは1:30~くらいから引用部分の歌詞が聴ける)

「いつの日か、あなたは私の不在を寂しがるだろう」というサルトル自身も引用した歌詞が、サルトルに対する神からのメッセージのようにも聴こえる。

もし、十字架と復活がないなら、私は日々、サルトル以上の吐き気に悩まされるだろう。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-15 13:17 | Comments(10)

梅粥


a0208786_13155458.jpg


娘が梅粥を作ってくれた。この2日間、ほとんど何も食べていなかったので、口に入れたものが胃の壁に沁みていくのがよくわかる。おなかがじわ~っと温まる。実に美味い。そして「美味い」と感じるのは少し回復した証拠だ。

11日水曜日の夜に、不自然な吐き気を催し一睡も出来ず、夜通し20数回にわたる嘔吐。
12日木曜日、授業も午後の出張もあったが、全くからだが動かず欠勤。
13日金曜日、これ以上は休めないと、出勤するも同じような症状で9人の職員が欠席。まだ分析結果が出たわけではないが、おそらく10日にみんなで食べた弁当に原因がある可能性が高い。校長先生からは「無理をせず、一日の計画だけ立てて指示を与えて帰って休むように」と言われたが、気になる性分なので、午前中は4時間授業をすすめる。

こうして振り返ることが出来る程度には回復した。

吐きながら、吐いたものを見ていると、いかにも雑に食べているなあと感じた。律法では反芻しない動物は汚れているとされる。無論、これはみことばの咀嚼についての教訓だ。何でももっとしっかり噛み砕いて、じっくり味わわないといけない。雑に生きていては駄目だ。

からだは異物を感じたとき、それを外に出そうと精一杯闘っている。だから多少しんどいのは仕方ないし、私はからだの判断に委ねるしかない。とにかく吐き気は私の意思とは関係ないのだから。

こういう「いのち」の拒否感覚を失うと、体内で菌を培養したり、異物と共存したりしてしまうことになるのだろうか。それは強さなのか、弱さなのか?よくわからないが、菌と闘ってくれた「からだ」に感謝しつつ、もう少し休ませてもらおう。

それにしても、この梅粥のように、霊の胃袋にやさしく沁みる話が出来たらいいなとしみじみ思う。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-14 13:39 | Comments(12)

戸隠~風だより~


a0208786_105110.jpg


「信仰放談」のシリーズがUPされました。

「戸隠~風だより~」と題して、「和解」をテーマに銀じ郎さん、電気屋さん、そして私Saltがお届けしています。

信仰の鍵になる重要なテーマのひとつである「和解」について、私たちなりに精一杯お話しています。感想を分ち合えると嬉しいです。

また、これから「信仰放談」で取り上げて欲しいテーマがあればリクエストしてください。

さらに、現在のDropboxによる配信方法で困っておられる方がおられたら、それも遠慮なくお知らせください。

別にハードルを高くして調子にのっているわけではありません。「交わり」ということにこだわっているだけで、「より多くの方に聴いていただきたい」という願いは以前と変わりません。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-10 01:18 | Comments(5)

銀じ郎の湯は乳白色


a0208786_11293251.jpg


30年来の友である硬派銀じ郎さんを伴って、知り合ってまだ2年に満たない電気屋さんのお宅にお邪魔してきた。厚かましい来客をいつも快く受け入れてくれる電気屋さんご夫妻。

特別な何かをしなくても、電気屋さんの日常は、神戸の街中で暮らす銀じ郎さんにとっては、眠っている感覚を刺激するものがいっぱいあるはず。銀じ郎さんにそういう体験を泊つきでしてもらいたかった。そして、何よりも電気屋さんの信仰とご家族に触れて欲しかった。

私が思っていたよりもずっと早く、極めて自然に、3人は長い年月を分け合ってきたかのような親しみを感じ始めていた。キリストを共有する交わりには究極の甘さがある。

奥様の美味しい手料理やあたたかいもてなし、息子さんのクラシック・ギターの生演奏で、ほんわか、まったり・・・

私も普段は口が裂けても絶対言わないようなことをペラペラ喋ってしまい、後から考えると赤面ものだったが、おかげで自分がなぜそんな思いや体験をしたのかを見つめ直すことができて、ものすごくすっきりした。

写真はテラスで露天風呂を楽しむ銀じ郎さん。杏仁豆腐にライチがのっているようにも見えるが、スイーツじゃないよ。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-09 11:57 | Comments(6)

A Happy New Year


a0208786_10464876.jpg


皆さんあけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

お正月という気分であろうとなかろうと、節目や祭りはけっこういろんなことを思い出させてくれるもの。

メッセージブログに2本のメッセージがUPされています。
1本は、硬派銀じ郎氏との信仰放談・教育と信仰を語る① 
テーマは「愛着と和解」です。

もう1本は、カナン教会でのSaltのひとりごと。
テーマは「縦の絆」です。

今年の配信はどんな展開になるのかわかりませんが、何らかのかたちでは続いてゆくものと予想しております。
[PR]
by lastsalt | 2012-01-01 10:46 | Comments(6)