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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


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これは一体何の時間だ?


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この写真は、一体何の時間を撮影したものか?

実はこれ、算数の「平均」の学習の導入の時間。

まずは、南米の酒場の遊びで盛り上がる。今回のルールは、腰につけた紐の先にコインがつってあって、そのコインを瓶の底に落としてキープしてゴールというもの。4人ずつ3チームに分かれて、その結果を見て、どのチームが勝ったのかを考える。今回1チームが驚異的に早かったので、結果は一目瞭然。そこでもし2回目以降をするとしたら、不公平感をなくすためにどうすればいいかを考え、「早いタイムと子と遅いタイムの子を入れ替えたら・・・」などの意見を出し合って、「平均」という考え方に少しずつ近づいていく。

次に、「国語辞典30冊を平均ということを意識して並べよう」ということで、長机の上に並べさせる。これは要するに上が平らになるように「ならすこと」が「平均」なのだとうイメージづくりのための遊び。前単元で「約数」の理解がおぼつかない子がいたので、おさらいもかねてやってみた。2学期から教卓がわりに導入した長机が大活躍。

それから、オレンジジュースに見立てた色水を3つのコップに同じように入れてみて、今度は液体でのイメージづくり。

最後に平均とは何かを黒板にまとめ、平均=合計÷個数という公式を確認しておしまい。

まあ、こういうことをやりながら、私は日々子どもたち過ごしているわけだが、「授業をいかに楽しくするか」は、けっこう難易度の高い課題なのだ。
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by lastsalt | 2011-09-30 02:15 | Comments(2)

カインド・オブ・ブルー


a0208786_4324076.jpg今日はマイルス・デイビスの命日。ちょうど没後20年になる。ジャズという音楽を深め、広げ、トランペットという楽器の可能性を追求し続けた稀有な存在だと思う。コードからモードへ。アコースティックからエレクトリックへという大きな変化はファンのみならず専門家の度肝さえ抜いて、賛否両論を生んだ。個人的には、「カインド・オブ・ブルー」は革命的な名盤だと思う。マイルスの音楽こそクールなジャズだ。私も恥ずかしながら、クールなボサノヴァを目指して少しでも前進したい。ミュージシャンはいい演奏をするだけじゃなく、レコードを残さないと・・・と改めて思う。

マイルスを偲びつつ、彼の名言を・・・

失敗を恐れるな。失敗なんてないんだ。

何か新しいことをクリエイトしている人間ってのは、光り輝いているものだ。

オレは現状に甘んじる人間は好きじゃない。

常に前進し、変化を求める人間が好きだ。

グループを作る場合は、(いろいろな人間を)混ぜないと駄目だ。持ち味ってもんが違うからな。

オレは若いミュージシャンに教えながら、学ぶ。そうやって新しいエネルギーを得るんだ。

今度は、それが自分に返ってくるのは才能じゃない、練習、練習、練習、それだけだ。

学べ、そして忘れろ。

オレは自分で自分の音楽に退屈してしまう前に、次に行く。

音楽は、それだけで何かを語るものだ。
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by lastsalt | 2011-09-29 04:50 | Comments(4)

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ちょうど10年前の秋、廃材家具作家の友人が百貨店で展示即売をする際に額に入れる絵を貸して欲しいと頼まれた。その流れで、私の絵を非常に高く評価してくれた彼らの主催するNPOの企画で斑尾アート&クラフトフェスタに出展することになった。最初は無理だと断っていたが、ちょうどリフレッシュ休暇(10年毎ぐらいに平日に3日休める制度)が取れたので、結局、家族連れで参加した。

その時、「あんた音楽も演るんやろ。ギターも持って来てや」ということになり、何だかよくわからないままギターを積んでいったが、向こうへ行ってみると、本当にペンションとホテルでライブもすることになった。

ギター弾き語りなんて、当時の私にとってはストリップショーみたいなもので、どうにも気恥ずかしかったが、ちょうど音楽教師としてピアノ伴奏だけでは教材研究が追いつかないので、ギター伴奏も始めていたという裏事情もあった。最初のライブがピアノのお姉さんとのジョイントだったので、たまたま子どもの為に書いたピアノ譜があった「おはよう・ボンジュール・ハロー」を渡したところ、気にいってくれて、これが非常にウケた。

「おはボン」がよほど耳に残ったらしく、奈良に帰って来てから、丸山祐一郎プロデュースの「夢だけどゆめじゃなかった」のCDに収録されることになった。これも、私は全然乗り気ではなく、「収録日の日曜日は教会でメッセージがあるから無理です」と断っていたのだが、土曜日に「エンジニアがスタンバってるから、今から来て録っちゃえばいいじゃん」ってことになって、録ってしまった。実際録音したテイクでも、歌のサイズさえちゃんと決めてなくて、「いのちは同じだから」と3回繰り返したのも、たまたまその時のノリだったのだからひどい。あんまり出来は良くなかったが、そのCDも奈良どっとFMなどで何度も流してくれたりして、ライブのオファーが来るようになった。チケットを売ったり、集客で気を使ったりするのは面倒なので、自分で企画するものは一切やらないが、ずっとオファーが途絶えることなく続いているのは、本人がビックリ。大きくブレイクすることはまずないが、これくらいの規模で継続出来ているのは、自分の今の余裕とのバランスを考えると、ちょうどいい。

「夢だけどゆめじゃなかった」の弾き語りテイクが、自分的にあまりにも不本意だったので、後にブズーキ奏者のMam君のサポートを得て、リメイクバージョンを録音し直すことにもなった。この製作によって、もう一度、自分自身が「おはボン」と出会い直せたような気もする。

カフェNZの真絹さんとの出会いも、この「おはボン」がきっかけだ。プライナスの川名君も、Sueちゃんも自分のレパートリーとして演奏してくれているし、現在でも奈良市の施設や天理市の学校で毎朝かかっているし、神戸市の通級学級のテーマソングにしてくれたそうだ。また、最近では彷徨坊主さんのクラスの2年生の子どもたちが歌ってくれた映像も送られてきた。ほぼ15年間、人前で歌うことのなかった私を引きずり出した曲「おはボン」は、ジャケット製作では、カメラを置いたはずのY.B.M氏に「『おはボン』のジャケットを撮影できるのは僕しかいないでしょ」と言わせることにもなった。

そして、この曲はUribossa氏と私を結びつけた曲でもある。

一番最初に音楽会で「おはボン」を披露してくれた大宇陀小学校の当時4年生だった子どもたちは、今年で21才になる。

KFCで最初にメッセージをさせていただいた時、メッセージの前に、当時出来上がったばかりのデモ・テイクを流してもらった。考えてみれば、これがSaltの全国配信メッセージ第1号だったのだ。

「そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。すると、イエスが彼女たちに出会って『おはよう』と言われた。」(マタイ28:8~9)

「おはよう」は、復活したイエスの第一声である。
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by lastsalt | 2011-09-25 11:29 | Comments(6)

Salt&Vinegar


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私の音楽活動のプラットフォームはボサノヴァであり、Salt&Uribossaであるが、ケーナのSueちゃんと活動も非常に大事にしてきた。Sueちゃん率いるさをり織りの音楽隊「キンキ雑楽団」の応援も続けている。又、リコーダー講座のピアノ伴奏を担当してくれた姪っ子のMomoちゃんとも色々と積み重ねて来たものがある。奈良県庁前広場のフェアトレードのイベントに出演依頼があったとき、Uribossa氏の都合がつかなかったこともあり、一人で出るのは寂しいのでSueちゃんとMomoちゃんを両方誘うことにした。この二人の個性が合体するのも面白いと思ったのだ。本来は調和しないケーナとピアノの間を私のギターが取り持てばいいわけだ。ケーナ&ピアノ&ギターの組み合わせは多分、ほとんど例がない。

Sueちゃんと二人の時は「酢」と「塩」ってことでSalt&Vinegarと名乗り、Momoちゃんと二人の時は「叔父」と「姪」なのでOz-Mayと名乗ることにして、それぞれにライブもオファーが来るようになった。Salt&Vinegarでは、何といっても大阪城を見下ろすスカイホールでのライブが、Oz-Mayでは、DVDも作ってもらった八尾イオンモールでのイベントや神戸の出張リコーダー講座が心に残っている。

そして、3人でやるときは、SueちゃんとMomoちゃんなので「スモモ」ってことでPurneと名乗ることにした。

今日は12月のPruneのライブに向けての練習。Sueちゃんがボリビヤ帰りのお友達からもらったインカ・コーンのお菓子を持って来てくれた。袋のSalt&Vinegarというのを見せたかったようだ。レトロなデザインのパッケージが何ともたまらない。

彼女たちの持っている個性はそれぞれに素晴らしい。3人でやるのは2人よりずっと大変だが、その化学反応がすごく面白い。

いろいろやってて思うのは、自分はフロントに立って教えたり、歌ったりするよりも、裏方の方がずっと似合っているなあ・・・ってこと。

ギターを弾いて、誰かに歌ってもらったり、笛吹いてもらったりするのって楽しい。

Salt&Uribossaの方も、地味なふたりの「わび」と「さび」でさらに円熟味を増したいところ。いや、まだそこまではいかないか。
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by lastsalt | 2011-09-24 22:37 | Comments(2)

20年越し


20年前まで、私はけっこう真面目に詩なんてものを書いていた。詩集「生贄たちの墓標」の表紙には1988~1992と書かれている。

しばらくは全く歌詞が書けない時期もあり、当時のユニットの相棒がすべての歌詞を書いてくれていた。これ以降に作った詩は、すべて歌詞である。

詩は歌の歌詞とはまた別のリズムや音階を持って独自に存在するような気がしていたが、そんなこだわりもほとんど無くなった。昨今の歌詞はサウンド重視で意味は二の次という感じだが、私的にはやはり耳で聴いてことばがストンと心に落ちるような自然な歌詞がいいように思う。以前、笛の野田さんが、「風のメロジア」の丁寧なアルバム評をくださったとき、「詩と旋律がよく絡み合っている」と褒めてくださったのはけっこう嬉しかった。

確かに自分の中で納得のいく作品は、たいてい詩と旋律がほぼ同時に生まれている。

a0208786_172041.jpg人が普通に話す場合でも、ことばとことばをつなぐ間や抑揚は大事で、伝えたいことの全体を構成する部分として、ひとつひとつのことばがバランスよく組み込まれている。だからマシーンのお姉さんがいくら綺麗な声で応対してくれても、生きている人間にはかなわないのだと思う。


普通に詩を朗読すればすむものをあえて、音楽にする以上はそれなりの必然が必要だ。

そんなことをあれこれ考えながら、今日もギターを弾いていた。何とも言えないやりきれない気持ちがこみ上げてきて、それにピタッとくる曲の流れが出来たが、ことばがどうしても乗っかってこない。何を言っても嘘くさいと思えたが、20年前に書いた詩のひとつがものすごくフィットすることに気づいた。

こういうのは20年越しの曲というのかな?
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by lastsalt | 2011-09-23 17:20 | Comments(0)

6th anniversary


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この9月は、Salt&Uribossaにとって6周年でもある。正式に「結成しましょう」とことばに出したわけでもなく、何かの契約を交わしたわけでもないが、私の中では2006年9月25日がSalt&Uribossaの誕生日だ。

それまでは、それぞれにソロでハーブクラブのゲストとして招かれていて、そこでの面識はあった程度。カフェNZの真絹ちゃんがいなければ、お互い気になりつつも、そのまますれ違っていただけかも知れない。

2006年の9月17日、カフェNZでのUribossaソロ・ライブがあり、その際に、お店のイメージソングでもあった「おはよう・ボンジュール・ハロー」のボサノヴァ・アレンジで披露してくれたとは大きなきっかけになった。

そして、23日に「室生ふるさとめぐり」の栗の木の家ライブをサポートしに来てくれて、その時、初めて私はUribiossaのギターに合わせて歌った。それがあまりにも気持ち良かったので、さらに2日後に彼の家を訪ねて、いろいろな曲を合わせてみた。「もう、これは続けるしかない」と確信。それが、運動会の代休日でもあった9月25日。

毎年、運動会代休になるとそのことを思い出す。

今年はSalt&Uribossaにとって、もうひとつのメモリアル・イヤーでもあった。実はあと2ヶ月弱だけ、ふたりの合計年齢が100歳なのだ。このタイミングで、なら100年会館に100人集めて100曲演奏しようというプランがあったが、種々の事情でこれは実現しそうにない。

代わりにというわけではないが、何とか年内には、新しいアルバム「約束の場所へ」をリリースしたい。今作はフルーティー・菅野にもサポートを依頼して、昨日もその一部を収録した。

地味ながら、まだまだ右肩上がり。衰えたり、くたびれたりはしないぞ!
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by lastsalt | 2011-09-21 09:51 | Comments(8)

三段の算段


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私がシンプルなヒューマニストでないことは、当ブログの読者であれば十分にご理解いただいていると思うが、私は別に子どもにアッと驚くような特別の指導をしているわけではない。普通の大人であれば誰でも言いそうな「ごく当たり前のこと」しか言わない。小学校は徹底的にそれで良いと思っている。

ただ理想を本気で追求することと、人はそれに遠く及ばないことを知っていることが、私にとっては大事なことだ。実際には、問題が起こったときの具体的な対処や日常の小さな出来事の地道なフォローがすべてだ。根気がいるが、こうした耕された土には、やがて福音の種も芽吹く可能性はある。

中途半端な連中は、口ではそれらしいことを言うが、現実に処する術を知らず、大した努力もしない。斜に構えたルサンチマン教師は最も見苦しい。宗教や政治絡みの人もややこしい。人権派を自負する人たちもこれまた面倒くさい。こういう連中はとにかく事実を見ない、話を聴かない。きちんと確かめない。自分の立ち位置から一歩も動かず、同じことを連呼するだけだ。

しかし、そういう輩でさえ、利己主義を絶賛したり、暴力や喧嘩を奨励したりはいない。誰でも口にすることは、取りあえず似たり寄ったりのキリストの影なのだ。

外遊びの少ない五年生の女の子たちが、たった数回の練習で、三段の塔を建てることはそれほど簡単ではない。ハンディキャップのある子も混じっている。理屈ではなく、リアルに「協力すること」「辛抱すること」「お互いを思いやること」の実質がなければ、絶対に成功はしない。

子どもたちにこうした小さな成功体験を積み重ねるサポートをすることを「教育」という。少なくとも、「教育」は何もしないで周りでゴチャゴチャ論じることではない。
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by lastsalt | 2011-09-20 14:42 | Comments(4)

瞳に汗


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雨の心配はなくなったが、暑すぎて熱中症の心配をしなければならないほどの晴天。

高学年の子どもたちは、それぞれの係活動で休みなく走りまわり、そろそろ疲れはじめ、暑さもピークに達した頃に組立体操本番。

今回のテーマは「絆」。震災と津波から立ち上がって協力するイメージで構成した。正直に言って、子どもの発達段階や能力、練習時間の短さを考えると、少し無理のある計画だった。

しかし、子どもたちはみな潜在能力を発揮してくれた。どの子もこれまでで最高の動きを見せ、練習の成果をすべて出し切った。

前日ピラミッドのてっぺんから落ちた子も、足の痛みをおして出場。スタッフの先生たちが見守る中で最高の演技を決めた。演技が終わると、その子が担任の先生に抱きついて泣きじゃくっていた。感極まったのだ。担任も泣いていた。

子どもたちと、スタッフの先生たち。お疲れさま、そして、ありがとう。

私も久しぶりに瞳に一筋、汗が流れた。
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by lastsalt | 2011-09-19 13:33 | Comments(4)

明日晴れるかな


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教室の窓に、幽霊みたいな首吊りみたいな「てるてる坊主」が3つならんだ。3つの顔が、うらめしそうに曇空を見つめている。

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明日は運動会。組立体操の最後の練習の最終演技ピラミッドで、一番上にのぼる子どもが落下するアクシデントもあった。小雨の降る中、入退場門を立て、万国旗をい張り、観客席を設営してから、急いでカフェNZへ駆けつけた。久々にSinger-Tetsunariの歌を聴いた。

主催者ながら、今回ばかりは誰かに声をかけるどころか、自分が遅刻しないことで精一杯だったが、思いがけずいろんな人に会えてびっくり。

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雨が降らなくても、おひさまが差さなくても、作物は育たない。雨でも晴れでもいずれもいい天気。でも、今日はゴスペルなので外でのライブが出来て良かった。そして、運動会には晴れた青空が似合う。
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by lastsalt | 2011-09-18 00:44 | Comments(2)

実と種


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教室のベランダで育てているバケツ稲にも穂がついて、少しずつ色づき始めている。風に揺れる稲穂を見ていると、茶碗いっぱいのごはんや一個のおにぎりの凄さがわかる。

どんな種でも蒔けば必ず刈り取るときが来る。小さなバケツの中にさえ、蒔かなかった雑草が生えてくる。

教室の子どもたちの育ちにも、共通するものがある。日々伸びゆく子どもたち。そのいのちの輝きとともにそれを阻害する力も大きい。

確かな実りを得るのは容易ではない。しかし、決して収穫は少なくはない。農夫である父が収穫を待っておられるから。大祭司が実りの為にとりなしておられるから。まことの種が地に落ちて死んだから。

みことばの種以外は、決して御霊の実にはならないと断言しておこう。御霊の実はイエスというひとつの人格の多様な表れであり、信者の徳ではない。
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by lastsalt | 2011-09-17 01:55 | Comments(2)