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クリスマスのための覚え書き



マリヤの受胎は聖霊を宿すクリスチャンの新生の型。現代のガブリエルは、産婦人科の医師であったり、場合によっては自分で尿検査であったりする。それでも、妊娠を知り、出産を決意した女性はからだの変化とともに、母親の顔に変わっていく。

これほど不信仰な時代になっても、「子は授かり物」という意識を持たない者はほとんどいない。いのちの誕生や成長は人の力や思いを越えたところにあり、まさに、選びは神からの一方的な恩恵である。

神がそのひとり子をお与えになったほどに愛された世とは何か。私が憂う世も、呪う世も、慕う世も、すがる世も、「私がいる世界」だ。「私がいない」「私が切り離された」世界など興味を持ち様がない。つまり世とはワタシのことだ。

神がそのひとり子をお与えになるほどに世を愛された以上、世にある私たちは、神と無関係ではいられない。クリスマスは神が世の一部となられた証であり、天へと続く扉であり、世が反転する裂け目でもある。

救い主の誕生の知らせを喜べない気持ちを仮初めの権威や力で排除しようとする想いは常にある。神の福音は、唐突に人生に介入し、計画の変更を余儀なくする。なぜ、マリヤへの受胎告知は、ヨセフとの婚約期間中でならねばならなかったのか。ここに救いの本質がある。

最初のクリスマスプレゼントは、東の博士たちによる黄金、乳香、没薬であり、それぞれイエスの栄光、人格、死を現す。それは人から神への捧げものであり、礼拝の証でなければならない。博士たちは、何も出来ないに嬰児にひれ伏しただけで、何らご利益は受けていない。

クリスマスは神の三位一体を味わうよい機会である。神を孕み、産み落とし、名付け、育み、ともに生きる。そして、その死と復活を見つめる。

救いは、今の延長戦上の祝福でも、問題解決でもない。イエスを十字架につけたのは、ピラトでもカヤパでもパリサイ人でもローマ兵でもない。母である自分の罪が十字架にかけたのだという告白によってのみ、マリヤは教会に加えられる。

イエスを拝することのない、クリスマスの馬鹿騒ぎは、酔っぱらって主賓が誰かを忘れた宴会の二次会のようなもの。そこには、理由なくただ騒ぎたい人々の浅ましさしかない。

ヨセフの受胎告知について、考えてみた。身に覚えのない妊娠話を婚約者から告げられた驚きは想像に難くない。そんなマリヤを受け入れ、イエスを育てた信仰はもっと注目されてよいだろう。そのことを踏まえて、このニュースを読むとヨセフの立派さが際立つ。

           ☆    ☆    ☆

夫は昨年10月に妻と離婚し、長女と親子関係がないことの確認を求めて奈良家裁に提訴した。長女は戸籍上、今も夫の娘になっている。生殖補助医療の専門家によると、受精卵の無断移植が表面化するのは初めてとみられる。婦関係にあったのは奈良県内に住む外国籍の男性(45)と、日本人女性(45)。男性の代理人を務める大阪の弁護士や訴状によると、2人は04年に結婚した。約7年前にクリニックで不妊治療を始め、体外受精で複数の受精卵を凍結保存した。女性は受精卵を順に移植し、11年に長男が生まれた。2人は13年秋から、関係が悪化して別居。女性は14年春以降、クリニックに凍結保存された残りの受精卵を数回にわたって移植したという。妊娠後に男性に打ち明け、15年4月に長女が誕生した。クリニックは2人が治療を始めた10年に一度だけ移植への同意を確認する書面を作ったが、以降はこの手続きを省いた。男性側は昨年12月、奈良家裁で開かれた第1回口頭弁論で「同意がない移植による出産を民法は想定しておらず、血縁を理由に親子関係を認めるべきではない」と主張。女性側は無断で移植したことを認める一方、「親子関係を否定する法律はない」として争う姿勢を示した。男性は今後、院長と女性に損害賠償を求める訴えも奈良地裁に起こす。


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by lastsalt | 2017-12-23 10:51 | Comments(0)