校舎に迷い込んだオオルリボシヤンマ。子どもたちも不意の珍客に興味津々。大型のヤンマを見つけると、昆虫少年だった私は今でもテンションがちょっとあがる。子どもたちの輪に紛れ込んで1枚撮らせてもらった。こういう蜻蛉が出て来るってことは、天理市内の川が美しくなってきているひとつの指標でもある。
「夏のわすれもの」の1曲目は「蜻蛉の夏」。蜻蛉を「とんぼ」ではなく「せいれい」と読ませている。「せいれい」という音が涼し気で「夏のわすれもの」のイメージに合う。友人の山荘で過ごした夏のある日、縁側に迷い込んだヤンマと少女が戯れる風景を曲にしたもの。
日本では古くトンボを秋津と呼んで親しみ、国土を指して秋津島とも呼んだりしたほど。おそらく田んぼの害虫をとってくれることから益虫とされたのだろう。侍の時代になると、前しか進まず退かないところから「不退転(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして喜ばれたらしいが、後ずさりする虫なんかおらんやろう・・・と、ここは多少ツッコミを入れたくなる。
ところが、西洋では、dragonflyの俗称は(Devil's)darning needle(悪魔の縫い針)だそうで、子どもには「うそをつくとトンボがやって来て、その口を縫ってしまう」などと言って、うそつきを戒めるときに引き合いに出されるらしく、ずいぶんイメージが違うようだ。中国では漢方薬にもされると聞いたことがある。どうでもいいけど、トンボの目玉は270度の視界があるのだ。教師にとってはちょっと羨ましい広角の視野だ。目の前しか見ていない人が多すぎる。(涙)
とんぼ返りはいやだけど、極楽とんぼはちょっとあこがれる。