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by lastsalt

舛添さん問題の本質 その②


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斜に構えた書きぶりで、ちょっとわかった風のことを書いて自己満足するような趣味は、私にはない。自分は日本人ではないかのように日本のことをボロクソに書いたり、自分は誰をも差別しないかのように人権派を気取ったりする人たちのことはあまり感心しない。困難な状況を描写して、揶揄して、批判して、それで何の責任も負わず、何かあれば我先に逃げて行く様な連中は軽蔑している。聴く耳を持たずに主張するばかりの唯我独尊・我田引水の方とも一線を引いている。

私は批評家でも評論家でもない。誰かに気を使って発言する利害関係もない。だから、何かを書こうが書くまいが、誰も困らず、世間に大した影響もない。何かを恐れて沈黙しているわけでもない。ネットで発信したくないこと、出来ないことは、直接伝えたい相手に伝えているだけだ。私はそれほど賢い者ではないが、突然馬鹿になり、やる気を失ったわけでもない。衰えてもいないし、腐ってもいない。私は私の手の届くところ、自分が確実に責任を負える範囲でこそ力を注いで生きている。ネットはあくまでもオマケ。

しかし、あまり意味のあることを書かないでいると、「塩味のキレたSaltは用済みだ」「もうSaltなどと名乗るな」などというお叱りもいただいたりする。面白い意見ではあるが、こういう方が、ちゃんと自分の名前と所在をはっきりさせて、何らかの意味のある発信をしておられるのを見たためしがない。「お前こそがんばれよ」と言ってやりたいが、基本的に匿名さんは相手にしない。

そんなこんなで、今日は、舛添さん問題の本質についての続編をもう少し書いてみようと思う。たとえ、何かの間違いで私が都知事になったところで、どれだけのことが出来るかというのは甚だ心配である。実は何かを語る時に、こうした視点はとても大事だ。キャッチボールもまともに出来ないおっさんが、スタンドで酔っぱらいながら、渾身のストレートをホームランされたマウンド上のピッチャーに野次を飛ばすような言説ほど見苦しいものはない。「気づいていても、わかっていても、簡単にはどうすることも出来ない構造の問題について、それぞれの立場できちんと責任を分担しながら考えましょう」という話をしたいのだ。

先にも書いたように、問題はもっともっと根深くて、広い範囲に及ぶものだと思っている。従って東京都民でもなく、知事になる可能性が0パーセントの私であっても、何らかの意見をもって発言すべき事柄だと考えている。

今回、舛添さんは知事を辞めたことによって社会的制裁を受け反省したという一定の形を保ち、結果として議会の追求を避けた。果たしてこれを辞め得と言えるのか。議会は勝ったのか。有権者はこれで気が済んだのか。一体誰が得をしたのだろう?何が一番大きな損失なのだろう?舛添さんの資質を抜きにして、税金の無駄使いにだけフォーカスすれば、新しい知事を選ぶ選挙に50億も使うほうが、さらに大きな無駄使いである。ちなみに過去の知事も任期を全うしていないということをお忘れなく。4年間に3回の選挙で、トータル130億円超とも言われる血税が自動的に支出されるのだ。中国服は何着買えるだろう。無駄とは一体なんだ?税金とは?選挙とは?政治とは?根本的なことを何も考えないまま、「舛添さん=Sekoi 」「知事=痴辞」で簡単に納得していてはいけないのではないか。
 
この件で知事の不正を告発した人たちは、本当は何を隠そうとしたのだろう。舛添さんは多くの随行者を伴って派手に外遊をしたと言われるが、元々予算化されている枠を越えた費用が裏金から出ていたとすれば、これは自分の子どもの洋服や漫画本や回転寿しに使ったものとは性質の異なる支出だ。都知事の宿泊費の上限は実は条例できちんと定められている。上限額は滞在地によって若干異なるようではあるが、これを毎回大幅にオーバーしているとすれば、差額はどういった予算枠から出るのだろう。その豪遊に金魚の糞のように随行した連中は、一切おとがめなしなのだろうか?予算はそこまでどんぶり勘定ではない。

ここで、舛添個人の政治資金とは関係のない都の不透明な自主財源(裏金問題)に触れることになる。地方交付税交付金を必要としない大都市東京は、国の監督下にはない独自の汚れた金庫を持っているはずだ。舛添さんは知事になる前に言ってたこととその後の行動が噛み合わなくなったのは、彼の「せこさ」ではなく、その逆の「幼児的全能感に似たもの」(状況を客観的に把握出来ない調子にのった大胆さ)ではないかと思える。これは前回指摘した屈折した特権意識が根っこにあってのものだ。もともと汚れた金がこんなに潤沢にあるんだから、ボクの裁量でなんとでもしてやる。前知事とも前々知事とも違ってボクはちょっとだけ頭いいんだから・・・きっとそんなふうに高を括っていたに違いない。もしかしたら、舛添さんは闇世界の何らかのタブーに触れたのかもしれない。

今回のオリンピックのスタジアムやエンブレムをめぐる醜態を見てもわかるように、背後にはお粗末きわまりない利権構造が明確に存在している。これらの滑稽な茶番劇(にしては規模が大きすぎるが)の舞台である東京は、日本の縮図そのものであり、戦後の日本人の価値観を反映している虚構の都市空間である。なかみは空っぽ。そこは、もはや生き物が健やかに棲める場所ではない。世界に向かって価値ある提案ができるようなコンテンツはない。
 
だから私は、今後も大きな時代の潮流と距離を置きつつ、地方の小さな田舎に棲み続け、お互いの存在を確認し、体験や感情を共有できる範囲の方々とともに、ささやかでも確かな手応えとあたたかみのある交流を続けていきたい。

一個人に出来る事は実に小さい。しかし、今、世の中で起こっている様々な事柄から目を背けず、自分の感じたことや考えたことをことばにすることは出来る。「自分はこう思う」という何がしかの発信をする力を持つ事は、デタラメな情報に飲み込まれないための最初の防御であると私は思う
by lastsalt | 2016-06-20 18:40