「読書とは、自分で考える代わりに、他の誰かにものを考えてもらうことである」
「読書中のわたしのたちの頭の中は、他人の思考の遊び場であるに過ぎない」
「たくさん読書すればするほど、それだけ読んだ内容が精神に跡をとどめることが少なくなる。実に多くの学者がこの例に当てはまる。彼らは読書して馬鹿になってしまったのである」
(ショウペンハウエル)
特別支援、愛着障害、授業づくり、人権教育と、3日連続で4つの研修に参加する。どれもこれも主催者が入念に準備し、それぞれの講師が丁寧にお話してくださり、刺激にはなった。確かに、いろいろな知者、実践家の話を聴くのは悪いことではないが、手放しにありがたかるのも如何なものか。話を聴くばかりで、へつらうように受け身の姿勢に慣れ、発信するときも引用だらけのことばでしか語れないとしたら、それは自分の頭で何も考えていない証拠だ。冒頭のショウペンハウエルのことばが頭をよぎった。そんなことを考えていたら、アブラゼミが自分の声で力の限り鳴いているのを見た。