藤子・F・不二雄の「エスパー魔美」のお父さんは画家。でも、いつも娘の裸ばかり描くかなりの変態。とは言え、いつもおかしなことばかり言うわけではなく、あるとき自分の作品を酷評した批評家に激しく怒りながらも、自由に批評する権利を擁護する発言をしている。
昨今、表現の自由についていろんな批評があるが、表現の自由にもの申すことも自由でなければならない。相手の批評の自由を許すことが表現の自由と裏表の関係にあるからだ。
しかし、金や力にものを言わせて圧力をかけるのは許しがたい。政府がマンガに口を出すなどは、やましさに触れられた過剰な反応にしか思えない。
似非科学者どもの「科学的にあり得ない」とか、「科学的にあり得る」は、いずれも根拠薄弱だ。拝金御用学者の権威を借りて物を言うのは言論の恥である。
エスパー魔美の話に戻るが、「父が画家で女子中学生の主人公がしょっちゅう裸でモデルになる」というこの不思議な設定だが、どうやら背景には永井豪のハレンチ学園のヒットがあったようだ。少年誌のちょいエロ嗜好の流れにのって編集者がF氏に要望したらしい。あまり気乗りしないF氏は、父が画家で娘がモデルということで、ヒロインが裸になる必然性を生み出したというわけ。設定は「高校教師」と一緒だが、明るいイメージを演出するため、母を笑顔で登場させたたりするので、余計に異様な感じになっている。
作者自身もあんまり描きたくないのに描いてしまって、それゆえにそれがよけいに奇妙でおもしろく、未だに語り継がれているという珍しい作品。調べてみると意外な事実が浮かび上がるものだ。そして、私はこの件に関しては、魔美のお父さんの意見に賛成だが、娘の裸は描こうとは思わない。