「苺の実」と言われて、赤い部分ではなく表面の黄色いつぶつぶを思い浮かべる人はあまりいないと思うが、学術的には、果実とはめしべの根元の子房が膨らんだもので、種子は胚珠が変化したものなので、実(じつ)は赤い部分は実(み)ではない。私たちが実と読んでいる部分は花托(花床)という花弁やめしべの土台となるパーツだ。実は膨らまずに花托の表面に張り付いている。あのつぶつぶの中に種があるのだ。「苺は野菜か果物か」というのと同じようにどちらでもいい話だが、学問というのは、何らかの意味付けで分類や整理をして頭の中で納得しておきたい欲望を満たすもの。
旨いものなしの奈良ではあるが、苺はまあまあの味。写真はあすかルビー。どうでもいいけど、次男は無類の苺好き。私はなぜか「苺」という漢字が好きで、学級通信のタイトルにしたこともある。栽培用の苺は江戸時代にオランダから伝わったようだが、どういう経緯で草冠の母となったのだろう。(ストロベリーという英語の語源もさだかではないそうだが・・・)
新しい果物との出会いは様々な波紋を呼ぶ。未体験の味が口の中に広がるわけだし、その呼び名も必要になるし、栽培法も知りたいし、けっこう楽しい国民的衝撃だったと思う。