ところが、北海道開拓民は彼らの文化を奪い、熊牧場の熊以下の身分を与えた。たくさんのアイヌ語の地名は今も先住民の歴史を物語る。アイヌのアミニズムは、どこの国の古代宗教にも見られる幼稚なものだが、現代の科学信仰やオカルトよりは遥かにマシだ。いわゆる「キリスト教」の迷惑な布教も、植民地政策による文化侵略の口実にすぎないが、「キリスト教」と一緒に持ち込まれた聖書には人類の愚かさを凌駕する力があった。宣教師や牧師がどれだけ不勉強で不信仰であっても、神のことばは生きていて力がある。
札幌の方々とお会いするまでの時間、レンタカーを借りて積丹半島まで足を伸ばした。どうしてもカムイ岬まで行きたかったのだ。地球の輪郭を感じることのできる水平線と、キラキラ輝く波を見つめながら、まことの創造主を思う。そして、積丹ウニは本当に旨い。ウニ丼を食べながら、イエスの贖いを想う。
いくらアイヌが神様好きで、いくらウニが旨くても、ウニの神まではなかっただろう。せいぜいウミの神がいいところ。実際はウミの神もヤマの神も存在しない。しかし、彼らが畏れ、敬った大自然の設計者は確かに存在する。(しかし、調べて見ると、鹿やキツネの霊にもカムイの名はついているようだし、魚の霊まであるという。もしかしたら、ウニの霊もあったかも・・・・恐るべし。)
神は唯一である。そして、人の神との仲介者も唯一イエスのみ。