私が自分なりの限界まで音楽を探究するのは、ともにすごす学校の子どもたちへのメッセージでもある。別に音源を聴かせるつもりはないが、「私が何を作っているか」は、私の日常と大いに関連している。
ミュージシャンを生業としなかったのは、職業として教師を選択したのであって、プロになれなかったからではないことを作品のクオリティーで証明しなければならない。ショボイものを作っていては、子どもたちに顔向け出来ないのだ。
又、本当に私が納得できるレベルの教師がどれほどの資質を要求されるかを考えてみると、本当に難易度の高い仕事だとつくづく感じている。
ボサノヴァが求めるバランス感覚は現場でも役に立つし、現場の抑えどころがサウンドのエッジを際立たせ、演奏のしなやかさを作る。
良いミュージシャンは、子どもたちの声に敏感であって、子どもたちに優しく語りかけるはずだ。それが私のボサノヴァ感覚である。
子どもはどんな時も未来に向かって生きている。日々成長する子どもたちと向き合える自分であるために、私自身も右肩上がりで成長を続けたいと願っている。