教室のベランダで育てているバケツ稲にも穂がついて、少しずつ色づき始めている。風に揺れる稲穂を見ていると、茶碗いっぱいのごはんや一個のおにぎりの凄さがわかる。
どんな種でも蒔けば必ず刈り取るときが来る。小さなバケツの中にさえ、蒔かなかった雑草が生えてくる。
教室の子どもたちの育ちにも、共通するものがある。日々伸びゆく子どもたち。そのいのちの輝きとともにそれを阻害する力も大きい。
確かな実りを得るのは容易ではない。しかし、決して収穫は少なくはない。農夫である父が収穫を待っておられるから。大祭司が実りの為にとりなしておられるから。まことの種が地に落ちて死んだから。
みことばの種以外は、決して御霊の実にはならないと断言しておこう。御霊の実はイエスというひとつの人格の多様な表れであり、信者の徳ではない。