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coolでhot 大真面目に遊び半分 それがいつでも上機嫌になれる塩加減


by lastsalt

今、此処


今年度最終日。明日の新年度スタートを前に、この1年を静かに振り返っている。今年はコロナ禍で始まった。そして、今も続いている。この招かざる客の乱入によってあらゆるシステムが誤作動を始めた。どんなに好きに生きていようが、私たちはいくつものシステムに巻き込まれている。どこかの国の国民である以上、あなたも私も大きな壁を構成する一つのレンガなのだ。何ごとにも関わらず何ものにも組み込まれずに生きていくなんてことは出来ない。村上春樹は「卵の側に立つ」などと詩としては格好の良いことを言っていたが、同じテーマならロジャー・ウオーターズのロックオペラの方がちょっと面白い。日常が要請されるはずのない自粛でがんじがらめにされ、過疎地の教育までもが一律に封鎖された。為政者は無知で無計画で無責任な命令を出し、血税を愚かな使い道に浪費して恥入り詫びることもない。しかし、日々強要される制限こそが私たちの心の奥に潜む自由を喚起する。個々の判断や行動が問われる。注意深さは臆病と同義語ではない。思考停止にデマの拡散、不安と怒り、そして責任転嫁。私はコロナに至るまでの自分の人間観察や状況把握がそれほど大きく間違ってはいなかったもののまだまだ甘かったことを思い知った。たいして信頼していなかったものが実際信頼に足りなかったとしても裏切られたという思いはあまりない。しかし、その失望や幻滅の度合いは平時の想定を遥かに超えるものだった。今回の騒動で誰がどの程度信用に足る人間かそうでないかもはっきりした。それが唯一の悲しい成果でもある。もちろん、これもまた私の主観による戯言にすぎない。どこかの誰かの脆弱な良心を傷つけぬために辛うじてマスクはしても、語るべきことにさえ沈黙して後ろ指をさされないような無難な生き方などしたいとは思わない。考える習慣を持たないレベルの輩や責任の果たし方を知らぬ肩書きばかりの連中に屈するつもりはない。明らかな逆境の中、今年も緩やかながらもさらに右肩上がりの充実感を感じて1年を終えられるのはそれなりに満足だ。個と群れ、ウチとソト、裏と表、いろんな駆け引きや言い訳があろうが、私は私以外の何者でもあり得ない。誰かに気にいられようと無理に笑顔を作ったり腰をくねらせたりすることもない。私なりの優先順位の今此処を大事にするだけ。



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# by lastsalt | 2021-04-01 00:25

2021年 新年のご挨拶





新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。



今年はいったいどんなことになるのやら。


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# by lastsalt | 2021-01-01 22:57

衷心より


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自粛延長の安倍首相の会見は、「なぜそうなったのか」「だからどうするのか」という国民の誰もが絶対知りたいことがすっぽり抜け落ちた薄っぺらな内容で、ただそれが延びたということ以外はほとんど何もわからなかった。一体誰とどんな策を練り、専門家に何を聴いてきたのか。


専門家の見解とされる内容もいつものように下手くそな詩を吟じるような抽象的な表現に留まり、判断の根拠となる具体的なデータも示されることはなかった。たとえ欧米諸国に比べて乏しすぎるデータであってもそれに自信があるのなら、自粛解除は無理と判断するに至る数値をはじきだした数式や、言い逃れのためにその場しのぎで多用する曖昧な言い回しの定義をしっかり示して欲しい。


そうしないと、何もかもコロナのせいにしてごまかしてやろうと思っているのか、あるいは、自粛した方が得する人たちが無理にそうしようとしているのかと疑いをかけられても仕方がない。あまりにも内容がお粗末すぎる。


専門家の専門性を疑うのは失礼だとしても、専門家が専門外の経済の動向や教育の実際や人の心の問題にまで考えが及んでいないことは私にだって容易にわかる。感染症の専門家は、まるでコロナ流行中は、病院から他の疾病や怪我の患者が消えるかのような判断をしている。


ここ数回の会見を聴いていると、安倍首相は「衷心より」お詫びするという表現を好んで使っている。それにも私はかなりの違和感を覚えた。衷心とは、「心の底から思うこと」であり、一般的にはあまり使わないフレーズだ。英語にすればfrom the bottom of my heartである。


私はふと自粛要請を受け入れずにしつこく営業を続けるパチンコ店に訪れた他府県からの客のインタビュー映像を思い出した。取材マイクを向けられた彼らは「他にやることもないし、どうしてもパチンコがしたかった。開いてなかったら来ないよ。開いてたから来ちゃったんだ」と語っていた。「言ってること」と「やってること」が一致しているのでわかりやすい。彼らは本当のことを言っているし、気持ちも入っている。まさにそれ以外はない、心の底からの言葉であろう。

「お詫び」があるのなら「訂正」が欲しいものだがそれはない。百歩譲って文字通り「衷心」よりの言葉だとするなら、その底の浅さはカレー皿かにわか雨の後の水たまり程度だ。


# by lastsalt | 2020-05-05 07:13

憲法記念日の覚書



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宇陀市は宇陀市民の手で守るべきだ」といっても、そりゃそうだとなるが、これを国レベルで語るとちょっと違ったニュアンスを帯びる。「自分たちの国は自分たちで守るべきだ」という国家としては当たり前の主張さえ、「軍国主義者」や「右翼」のレッテルを貼られて攻撃されるのがこの国の現実だ。戦争を知らない子どもたちにとっては、生まれた時から「ぬるい平和」が空気のようにそこにあった。国土にミサイルが投下されることはないが、知らない間に戦争に加担させられている。それは非常に心苦しい事実だ。

護憲思想はいわゆる平和運動ではない。日本人の主体性の放棄を覆い隠し、態度の曖昧さを担保するための極めて日本的な落とし所だったわけだ。ほとんど憲法学者は護憲派であり戦後日本の平和も日本国憲法があったからこそという立場で「表の国体」として日本国憲法を守り、政治家は好むと好まざるに関わらず対米追従路線を貫いて「裏の国体」である日米同盟を重んじてきた。その結果、沖縄の空には今日も米軍機が蝿のように飛んでいる。戦争に負けたのだから仕方がないなどと、あと何年言い続けるのだろう。そして、市民の命や安全を犠牲にして守らねばならぬ国益など存在するのか?基地は一体何を守っているのか?

もし「憲法」を一言で説明するなら、「国家権力を縛るもの」である。当然のことながら、憲法を変えようと言う動きが生まれるとすれば、それは権力からではなく市民から出発しなければならない。

「憲法があったから戦後の日本に平和があった。」これは半分は本当だが半分は嘘だ。この嘘の方の半分をスッキリさせるためには改憲かあるいは自衛隊の解散が必要だ。しかし、立憲主義のなんたるかを理解せず、原発どころか自分の妻さえコントロールできず、友達を利用するだけ利用して切り捨てるような男が旗を振る改憲には、とうてい賛成できない。

それでもどうしても憲法をいじりたいのならばコロナに乗じて「緊急事態条項」を憲法に盛り込む企ては捨て、「公文書管理の原則」を憲法に明記すべきである。



# by lastsalt | 2020-05-04 00:21

コロナとペスト


ある町を知るのに適当なひとつの方法は、人々がそこでどんなふうに働き、愛しあい、死んでいくかを探ることだ。

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誰のことを心配して、何のためにそうするんだか全くわからない、ほとんど意味のない決定と、
聞く価値のない情報の拡散にただただウンザリする。
この国の責任者の責任感の無さと役所の実務能力の欠如。

# by lastsalt | 2020-02-23 09:36